デリカシーのない先輩

わたしの職場にはデリカシーのない先輩がいる。

先輩が話しかけてくるときはいつも、迷惑な気持ちを少しも隠さずに対応している。場合によっては、「今集中して仕事をしているので茶化さないでもらっていいですか?」などと釘を刺してすぐにシャッターを閉める。

先輩はすかさずシャッターの隙間に手を滑りこませ、「少し話しかけられたくらいで途切れる集中力ってどうなの?」などとのたまう。舌打ちしたい気持ちを抑え、何かしらのイヤミで返す。国が国で、職業が会社員なんかでなければ、2度と口がきけないようにしている。

 

わたしは、デリカシーが足りていない程度の人間にはデリカシーを持って接するが、その先輩に対応するときには自分までデリカシーが欠落する。

 

デリカシーのないその先輩はひどくおしゃべり好きだ。人間関係において、会話というものに重きを置きすぎている。議論の際には、卓球のオリンピック選手ばりにラリーをしないと気が済まないらしい。相手が少し優しかったり気が弱かったりして、ラリーの途中で躓こうものなら、隙ありと思うのか倒れた相手にピンポン球を浴びせ続けるような攻撃性を持っている。

親切な誰かが間に割って入り、手を貸そうものなら...そんなのは相手のためにはならないと決めつけ、転んでいる人への追撃を親切だと捉えている。

 

そういうデリカシーのない先輩を見て、なんて厄介なんだろうと引いていた。

 

そして、ついに自分まで同じような仕打ちを受けたときには、あまりの不愉快さに怒り心頭し、夜な夜な復讐を画策したために2日ほどはよく眠れず、怒りに晒され続けた体は1週間、鉛のようだった。怒りと寝不足で血走る眼球は、相手に致命傷を与える隙を常に探していた。我ながらとんでもない時間を過ごしたと思う。

口をきけば争いは避けられないと悟ったわたしは文字通り、距離を置いた。

しかし、こちらが明らかに話したくないという態度を見せても効かない。相手にデリカシーがないのだから当然といえば当然だ。そんな簡単なことがわからないわたしのほうが、逆にデリカシーがないくらいだ。

 

話しかけるタイミングも大抵、最低最悪である。たとえば残業しているときに、「どうした、忙しいのか?」などと無駄口を叩いてくる。

「忙しいから残業しているんですよ」とか「帰れるなら帰ってます」とか「残業してまでやりたい仕事があるんですから放っておいてもらえませんか?」などといつも感じるし、それに近い言葉を素直に伝えている。

また、少し前には、就業早々に話しかけられ、ひどい思いをした。

わたしは仕事中の間食が過ぎるため、時々、おやつに小魚を食べている。給食を思い出してなんだか懐かしいし、どうしても間食してしまうなら、少しでも体に良い物が良い。そうしてわたしがナッツ入りの小魚をつまみながらメールチェックをしていると、いつものようにデリカシーのないタイミングで、先輩が話しかけてきた。

エンジンのかかっていないわたしが珍しく愛想良く対応すると、周辺のデスクに聞こえるような声で「ちょっと!前歯に小魚が挟まってる!」と言ってきた。「幼稚園のうちの娘と同レベルだ」とまで。

顔面からは笑顔が消え失せ、心の底から濃い暗雲が湧き上がるのを感じた。デリカシーのない人間というのは、わたしの斜め前の憧れの先輩や、隣の心優しい先輩にまで、わたしの前歯に小魚が挟まっていたことを報告するものだ。我慢の限界だった。

「…小魚を食べているときに話しかけるとか、マジで止めてもらって良いですか?」

そんなことは、幼稚園生だって言われなくてもわかることだ。イライラが募るわたしに気づいた隣のデスクの優しい先輩が、間に入る。

「…ほら、1回確認してから話しかけたほうが良いですよ。今、小魚食べてますか?って。ねぇ...?」

優しい先輩がちらりとわたしの表情を確認する。わたしは返事もできずに震えていた。

 

いつか、わたしはデリカシーのない先輩の奥歯をガタガタ言わしたい。トンカチとかで。

誰かネコババしてない?

使用しているiPhone5Sの充電機能の低下が著しい。

つい10分前には50%半ばだったにも関わらず、そのまま使用していると目に入る数字が30%弱だったりする。

この衝撃は通勤電車に乗り合わせている誰とも共有しえないため、もちろん顔に出すことなくクールに指を動かすだけなのだが、不信感は増殖する。

1分間に約2パーセント。秒針に追われ、完全に追い込まれている。

これはどういうことだろうか。半月前は、こんなことはなかった。急激なのだ。ここ数日は、1日2回の充電を強いられている。しかも、ほんの1時間程度放置していれば100%に満ちる。軽い。

すぐ減って、すぐ回復するなんて、実に軽薄だ。そんなことなら、充電がなかなか減らず、大して溜まりもしない堅物であってほしい。2日に1回、一晩かけて充電する。そしてまた2日かけて消費する。スローライフ

しかし、壊れてしまったものが元戻らないことは、機械が普及するよりもずっと先に恋愛が実証した。私の携帯も、もう駄目なんだと思う。それでも、変えたり換えたり替えるつもりがなければ、この軽薄な男と付き合い続けるしかない。

触れ合えば後先考えずにエネルギーを大量消費し、すぐにエネルギーの充足を要求する。悪びれもしない。

私の引き落とし額は増えるばかり。いつからこんなに軽薄な人になってしまったの?見つかるはずもないスタート地点に思いを巡らせる。

もしくは、虚弱体質の男。白く、病弱で、思慮深そうな表情が似合う。可憐な指には本こそ似合うが、世の中のありとあらゆる労働を掴む力がない。その体は日に日に衰え、いずれは管をつないだままでないと意識を保つこともできなくなる。そして、そんな日がそう遠くはない実感がある。わたしの目にはその日が、うっすらとだが、しかし確実に見えている。

この文章が終わるころ、すっかり秒針に迫われてパーセンテージは1桁を切り、カウントダウンが刻まれていることだろう

好きな作家

わたしには好きな作家がいる。その作家の本を読むと、わたしはこんな世界を知らないと思う。わたしの中には、こんな世界が存在しない、知らない、と思う。そして、そんな世界が存在するこの世の中のことが少し好きになる。世界を見直すらしい。素晴らしい作家だと思う。

 

以前、その作家は苦手だと言われたことがある。たまたまバーカウンターの隣に居合わせた青年である。面識があった。

 

わたしはわたしで、相手が敬愛する作家が苦手だった。あの作家を良いと言う男は屑だという確信があった。その気持ちを伝えたかどうかまで覚えていない。趣味が合わないというだけの話だ。しかし。


好きな作家の話でナンパをするような奴である。気に入った女の酒には睡眠薬を混ぜるに違いない。彼のような奴は地獄行きに決まっている。
あのシーンを思い出すといつも、わたしは飲みかけの白ワインを一飲みし、バーカウンターでワイングラスを砕き、その破片を彼の喉元に突き刺して回想を終える。

 

わたしたちがあのやりとりをしたシーンが、北野武映画のワンシーンでなかったことを、あの青年は感謝すべきである。

業務報告書、という名の。

職場で、7月の終わり頃から毎日、上司に業務報告書を書いている。A4のノートに、手書き、毎日、である。

懐かしさ。その行為自体は、なんだか学生時代を想起させる。上司の方針でこの手書きの業務報告書が実施されて、もう3ヶ月が過ぎた。

そりゃ、もちろんはじめはわたしは乗り気でなかった。むしろ、否定的であった。日々の業務報告書を要求するような人間、しかも手書きで、などという人間は気が触れているに違いないと考えた。

上司が気が触れているかどうかの検証よりも先に、わたしは業務報告書にハマった。汚い字で書き殴ったことがないとも言えない。だが、すぐに、わたしにとって業務報告書は大切な存在となった。

わたしはまず、業務内容をアピールした。さも、仕事が多くて大変そうなふりをしたいと思った。難しそうな仕事をいかにたくさんしているか、そんなふうに見せたいと頑張った。しかし、客観的な仕事の基準とは詰まるところ、いくらの金額の仕事をこなしたか、である。金額に直接の影響を与えることが少ないわたしは1ヶ月程度で業務アピールに手詰まった。

そこでわたしは、もはや業務とは関係ない報告に楽しみを見出すようになった。

『今日の一言』というコーナーを設置し、毎日一言以上の長文を書いた。おもに「2016年で今日が1番良い天気だ」「最近炊き込みご飯にハマっている」「2016年の下半期だけで野生のゴキブリを6回目撃している」といった内容である。

大抵は何のコメントもつかない。

しかし、business personの仕事とは、そういうものだ。いつも、日々の業務や感じたことなどは、無視され、ときに踏みにじられるのである。しかし、そんなことに動じてはいけない。上司が、ときに社長さえも読む業務報告書に、ゴキブリの目撃情報などを黙々と記すのみである。学生時代のように、校内放送で個別で呼び出されて注意されないということは、まぁ特別問題もないということだ。

ゴキブリの目撃報告に、まさかの社長からのコメントが時間差で入ったときには、ゴキブリの生態について調べた内容も追記レポートした。

昨今の社会経済、いつどうなるかわからないこのご時世で働くbusiness personのこの身として、会社と刺し違える覚悟で日々働いているのだ。同僚と酔っ払って居酒屋で愚痴などをこぼしていてはもったいない。

そのエネルギーを業務報告書に記している。さながら、ペンを掲げたジャンヌダルク。そんな気分なのである。ちなみに今は、酔っ払っている。しかし、業務報告書を記すときはシラフで、いたって真面目に書いている

秘密のポケット

一度も意識してこなかった事柄や存在が初めて意識された瞬間の驚きを、誰でも経験しているものだろうか。

 

漠然と知っているつもりだったことを、実はまったく知らなかったことに気づいた瞬間。

 

女の人生が80年だとして、年が明ければ割とすぐに30歳になるわたしは、人生全体の3分の1を超えた地点にいる。そんな地点で、こんな思いをするとは。

 

しかし、以前にも一度、似たような感覚を味わった。帰巣本能という言葉をずっと帰省本能だと思い込み、何度も口にしていたことが行きつけの美容師からの指摘で発覚した。

国語の教科書に帰省本能と書いてあったと弁明したが、何の効果もなかった。29年の間、いろいろな人の前で使ってきたにも関わらず、誰にも指摘されなかったことが無念でたまらなかった。

 

 

そしてわたしはつい最近、歯周ポケットという存在を初めて意識した。歯ブラシや歯磨き粉のコマーシャルで、もう何千何百と聞かされてきた、この言葉。まさか、わたしの口の中にも存在しているとは考えたこともなかったのだ。

姉の家にあった糸ようじをなんとなく手に取り、自分の歯に試した瞬間、わたしの中に潜んでいた歯周ポケットへの探究心が産声を上げた。

 

インターネットで入念にリサーチし、次の日には自宅用の糸ようじを購入した。そしてその夜、さっそく糸ようじを試したところ、とてもこわくなった。思った以上に糸が食い込むのだ。自宅で初めて糸ようじを使った興奮とは裏腹に、こんなに歯茎の中に糸が入っても大丈夫なものか、おそろしくてたまらない。29年間ではじめて見た食い込み方だった。しかし、それは結果として、わたしの歯周ポケットへの探究心を加速させることになった。歯周...ポケット。言い得て妙だと思った。

 

次の日仕事をしていると、昨夜のことが猛烈に思い出された。気づくとインターネットで「歯周ポケット」と画像検索していた。わたしが思っている歯周ポケットと、世間で言われている歯周ポケットが同じか、不安があった。同じだった。しかし、情報過多だった。歯周ポケットがすっかり浅くなり歯が根元からほとんど剥き出しだったり、意図的に歯周ポケットをめくって歯の根元が剥き出されていたり、さまざまな画像があった。

 

不安は一斉に増殖した。

 

わたしの歯周ポケットは深すぎるのではないか。歯周ポケットに悪い菌が溜まっているのでは、歯周病の疑いがあるのではないか。

わたしは不安になって我慢できず、隣のデスクの先輩女性に相談した。「つい最近はじめて糸ようじを使ったこと」「29年間で初めて歯周ポケットを意識したこと」「糸ようじが食い込む感じがこわかったこと」などを伝えた。

 

先輩女性はわたしを気遣い、自分も毎晩糸ようじを使っていること、子どもの頃に歯列矯正をした際は歯間ブラシを使っていたことなどを教えてくれた。

 

先輩の話を聞き、思いがけず驚いてしまった。自宅用の糸ようじを買う際、隣の棚に並んだ歯間ブラシが目に留まり、あんな物が歯の隙間に入るなんて歯が随分と抜け落ちたお年寄りばかりに違いないと勝手に思い込んでいたのだ。幼い子供が歯の隙間に歯間ブラシを当てることもあるらしい。

 

口の中の世界はなんと広いことか。

 

不安や疑問が解決しないわたしの様子を見た先輩女性は、医師への相談を勧め、自分の仕事へと戻っていった。

 

「またか。」正直に言うと、わたしはそのように感じていた。先輩女性たちと女の健康について話すとき、大抵は「医師に相談」が結論になった。「わたしの歯周ポケットは糸ようじを入れても大丈夫な歯周ポケットですか?」医師にそんな相談をするべきか、わたしは結論を出せなかった。

 

 

先輩2人と客先に行き、ポケモンGOをしながら帰ってきた。途中でつけ麺屋に寄り、おそらく通常よりもやや茹で過ぎた状態で提供された麺を3人で啜った。

「この麺は本来のレシピより茹で過ぎているに違いない。」そんな会話を数回繰り返しながら、完食した。食後のなんとも退屈な時間が漂う中、先輩の1人がおもむろに楊枝を手にした。もう1人の先輩も、楊枝を手にした。おっさんかよ...と思いかけたが、2人とも30代半ばを過ぎた男性なのであながち間違ってもいないのだった。

楊枝のその先がわたしの歯の隙間に当てられた瞬間に、わたしの手に楊枝があったことに気づいた。先輩の1人が楊枝を手に取った後に、そのまま楊枝の入った容器をもらい受け、自分の分も抜き取っていた。わたしは楊枝の先を歯に当てていたことに驚き、もう一度歯に当てるかどうか迷い、楊枝をゴミと一緒の場所に置いた。

 

しかし、もう秘密のポケットは明かされた。パンドラの匣は、開け放たれたのである。

特等席

昨日、朝の通勤電車にて。

無事に座席を確保し、いつものように携帯でネットサーフィンをしながらニヤついていると、隣とその隣に席を並べる見知らぬ男女の小競り合いを目撃した。その男女は目を合わせることもなく、互いに肩や腕をしきりに動かして威嚇し合った。

 

隣に座っていた男がわたしから遠いほうの腕をグイグイと動かす様が目に付き、わたしははじめて不穏な空気に気づいたのだった。

男の動きには自分が抱えている不服を世間に示したいという意思が強く現れており、さらには、自分の不服をわからせるためには手段を選ばないぜ、というような思想も透けていた。

言葉にするのではなく、動きによって、しかも暴力を匂わせることで誰かに行動の自粛を促そうとしていたのだ。

 

マジヤベェなコイツ、とわたしは思った。

 

マジヤベェ奴が隣だと、厄介だ。わたしは携帯を持つ手をそっと膝に移し、男から表情を隠してとりあえず静かに呼吸した。しかし、席を立って離れるにしては時期尚早と判断し、シマウマの視界で彼の動きを観察した。

 

彼のグイグイを数回見ると、事態が把握できてきた。彼はわたしではないほうの隣の女に「俺はいつだって良いんだぜ」感をアピールするために腕を動かしていた。

女は序盤こそ、腰や腿を使ったグイグイ返しで応戦していたが、その男が女相手に腕力を振りかざしそうなタイプであると悟ったのか、今度は男のグイグイが当たった場所を汚いと言わんばかりに手で払っていた。言葉にこそしないだけで、その動きは「あ〜。汚い。あんたみたいな汚い男がぶつかったなんて、腕が腐っちゃう」と口にしているようなものだった。

 

秋晴れの澄み切った空気とあたたかい日差しが差し込む車内で、大人の男女が隣り合っていつまでもそんなやりとりをしていた。どちらも、目も合わせず、言葉も発せず、移動もせず、自分がいかに不愉快に感じているか、相手にアピールすることだけに一所懸命になっている。

 

異様な光景だった。わたしはどうして良いかわからなかった。

 

ゴールの見えない争いが続く中、とうとう男は拳を握り、骨を鳴らし始めた。ポキ、ポキリ、パキ。

相手への威圧を目的とし、腕力アピールのために手の骨の音を鳴らすなんて真似をする者は、わたしはドラえもんジャイアンしか知らない。

 

しかし、男の骨の音を聞いた女には効果があったのかもしれなかった。冷戦のような状態がしばらく続いた後、男は大学名が入った駅で降りていった。まばらな茶髪頭で清潔感が乏しい、年齢不詳だった男が、もしかしたら大学生かもしれないのだ。

 

男の4駅後、わたしは自分の目的とする駅で降車する際に、女と目が合った。20歳±2の若い女だった。流行をそれなりに追っていそうな身なりで、何も知らずに見たら、どこにでもいそうな、ただの可愛いらしい女子だ。すぐ隣に座っている見知らぬ男と、悪意に染まったパントマイムのラリーを繰り広げるタイプにはとても見えない。

女の表情にはまだ、不服の色が見えた。「てめぇもやられてえのか?」荒ぶった感情が女にはまだ残っており、きっかけさえあれば今にも飛び火しそうに揺らめいた。

 

目的駅のホームを踏み、改札を目指して階段をのぼりながら、さきほどまでの異様な出来事を振り返った。

 

 

なんとも不気味な時間だった、とわたしは思った。

 

わたしがもし神だったら、

チェス盤の上に並んだ駒を

片手で無造作になぎ倒すように

きっと人類を滅亡させる。

 

 

ゴキブリといえば

たいていの人間は嫌悪感を示す。

遺伝子に組み込まれているのかもしれない。好きだと言う者を見たことがない。そんな存在をタイトルに入れるのは賢明な試みとはいえない。それでも、強く浮かんでしまったものを書き記しておかないわけにもいかない。難儀だ。

 

 

29年間のうちの、はじめの5年はよく覚えていない。次の5年は、ゴキブリと同じ屋根の下で同じ釜の飯を食べた。幸いなことに、それ以降は彼等とほとんど顔を合わせない人生を歩んだ。

 

ゴキブリとの同居生活が過去のこととなって久しくなった頃、わたしが23歳と数ヶ月のときだ。若くで患った脳卒中の後遺症として左半身麻痺を抱えて20年生き永らえた父が、他界した。6月だったにもかかわらず、葬儀を終えるまでの数日間、ひどく暑い日が続いた。

姉と兄は家を出て自活していたが、母と、廃人のような留年大学生のわたしは最後まで父とともに同じ家で暮らした。

苦労をかけられることしかなかった父の存在であったが、それでも父の死はわたしたち家族に大きな喪失をもたらした。体にポツポツと空いていた穴がすべてつながって、いよいよ大きな空洞となった。

 

家に残ったふたりを気遣って、姉が飼っていたチワワを連れてきた。母とわたしとチワワ、女3人での暮らしが始まった。

余談だが、このチワワは生前の父から切り干し大根を餌付けられたことがある。(病気の影響もあるとは思うが)戦後の何もない日本で、畜生と一緒になって経済を立ててきた父の世代の人間には、血統書つきの犬の軟弱さが想像もできないのかもしれない。

チワワという犬は生来体が弱いらしいので人間の食べ物は与えないこと、という家族の忠告を常々無視しては、何かしら分け与えた。父は父で、面倒見の良い人間だったのだ。

消化できずに持て余した切り干し大根をチワワがすべて吐き出し、父と彼女が家族に隠れて行ったやりとりが露見した。

それは、大人の親指ほどの太い切り干し大根だった。兄が5つ、私が1つ。処理した人物の証言を集めると、合計6個の切り干し大根を彼女は口にしていた。もらった分だけ、食べたのだろう。彼女にはそういう分別のつかないところが多々あった。

 

父がいない生活に段々と慣れ始めた、熱帯夜を思わせるある夜。生前の父が過ごした部屋で母とふたりテレビを観ていると、床いっぱいに敷かれたござの隙間から壁にかけて、黒い影が走った。

 

ゴキブリだった。

 

わたしは嫌悪感と恐怖からすぐさま殺傷を試みたが取り逃がし、ござの隙間に逃げられてしまった。彼または彼らが家のどこかに留まっているということがひどく不快だった。何年もその姿を見ていなかったのに、まさか自宅内に出るとは。母とショックを分け合った。

 

すると次の日も、昨晩と同じように、ござの隙間からゴキブリがするりと出てきて、すぐさまござの隙間に消えていった。またしても取り逃がしてしまった。その姿を見かけることがなかった我が家に、2日連続でゴキブリが出たことにわたしはひどくショックを受けていた。

しかし母は、彼女は“妙だ”と考えたようだった。

 

「お父さんかな...」

 

母がつぶやく。彼女はスピリチュアルな思考を得意としてきた。その思考や発言には常々人間離れしたものがあり、わたしなどは、彼女には紫色の血が流れおり、彼女の口から出る言葉は黄緑色のゼリーだと思っている。そんな彼女を経て生まれたはずのわたしたち子供は、そういった彼女を“天然ボケ”という棚に乱暴に押し込んで、やり過ごしてきた。

 

彼女はブラックジョークを言えるような機転のきくタイプではない。悟ったような、真面目な表情をしていた。

ブラックが過ぎる。