かれこれ1週間ほど、坂口健太郎のあの恐ろしくモテそうな様子について考えている。彼のストーカーになりたくなるほど恋心をこじらせてしまった女子がこの世界にいるんじゃないか?と。しかしそれは、まさに学生時代の自分だった。当時のことを文字にしてみる。
ずっと憧れていた先輩がいた。小・中・高校生、しかも大学生になってまで、10年以上も憧れ続けた先輩。その理由は、まず見た目が大きい。顔の造形がどストライクだった。
先輩はNARUTOという漫画に出てくるサスケというキャラクターに見た目がそっくりだった。そっけない態度、身体能力の高さ、何をやらせても平均点がずば抜けて高い、という点まで共通している。NARUTOを初めて読んだ中学生のときに「サスケはあの先輩そのものだ」と確信した。
先輩は、一学年上だ。野球部に所属しており、さらに一学年上にいた私の兄やその他の年上部員を軽々と凌駕する身体能力の高さでレギュラーを獲得した。シビアなスポーツの世界で死屍累々の上に君臨する先輩に憧れることを止められなかった。当時バスケ部に所属していた私は、ランニングの度に先輩の姿を探したものだった。
中学校の体育祭、リレーのアンカーで2位のチームを大きく引き離し、両手を突き上げてゴールテープを切った先輩の姿を今でも覚えている。
きっかけは、先輩たちの卒業が数週間後に迫る頃。新しく始まる高校生活に向け、多くの先輩たちが携帯電話を手にし始めた。間も無く訪れる中学校生活との決別に備えて、連絡先を交換していた。それは、たとえば部活の後輩にも及んでいた。
野球部に所属していた同級生の男子が「あの先輩とアドレスを交換した」という情報を耳にした。私はすぐ、先輩の連絡先が知りたいとその男子に詰め寄った。同級生が先輩に確認を取ると、アドレスを教えても良いとの許可があった。こうして私は先輩のメールアドレスを手にした。「先輩に近づけるかもしれない…!」バラ色の生活が始まるかと思われた。しかし、私には大きな懸念もあった。
当時の私は、肩にかかる程度のストレートヘアをサラサラとなびかせるといういかにも女子中学生らしいヘアスタイルをしていた。しかし、先輩のアドレスを手にするちょうど数日前、髪が大幅に散った。地方のリーズナブルな美容室に、ヘアスタイル雑誌の切り抜きを再現できる人材はなかなかいない。そういう現実をいまいち理解できていないのが中学生というものだ。つまり、散髪で大失敗していた。
私は、同級生から久本雅美とからかわれるほどのベリーショートになっていた。中学2年という自意識が最も高まる頃に、頬骨や顎のラインを隠せる髪の毛がないことは死活問題だった。モンチッチのようで可愛い、と自分を励ますので精一杯だった。
さすがに先輩の目にその姿を晒すわけにはいかない。絶望的な状況ではあったが、受験が終わった先輩らは学校に来る日数が少なく、登校したとしても過ごす時間も短かったため、顔をあわせることはなかった。先輩が高校生活に慣れる頃には、私の髪の毛も少しは人間に近づいているはず。それまではメールで先輩と距離を縮められれば良い。そんな戦略を立てていた。
そうして始まった先輩とのメールの第1通。
「最近髪の毛切ったよね。いいんじゃない?」
先輩の先制パンチ、女子中学生私、クリティカルヒット。見事に大爆発した。その後10年以上にわたる暴走スイッチが入ったのは完全にこの瞬間といえる。
余談だが、この喜びは女子高生になっても色褪せず、“オリジナルの詩を作って各自が発表する”というある授業で「みんなに馬鹿にされたこの髪型も 先輩が褒めてくれたから大成功になりました」という詩に読み上げ、教室をざわつかせた。それくらい舞い上がる出来事だった。女子中学生の私は光の速さで返信をした。
「えっ。短くなりすぎてみんなにからかわれて落ち込んでいたんです>_<。でも先輩に褒めてもらえて嬉しい…!好きです。付き合ってください。」
「いいよ」
あまりの舞い上がりっぷりに思わず告白してしまった自分と、先輩からのまさかのOK。幸せの絶頂。
先輩とのお付き合いが始まった。何でもないような質問に、先輩が答えてくれる。このメール画面の向こうには、同じくメール画面を覗く先輩がいる。そのように考えると眩暈がするような高鳴りを覚えた。先輩のメールを何度も何度も見返しては、反芻した。先輩に、電話もしたいです、と素直な気持ちを伝えてみた。先輩は、電話は苦手だから無理、別れよう、とのことだった。4日で振られた。諦めきれず、返事の来ないメールを送る日々をしばらく続け、やがて閉じた。
今考えれば、こんな振り方をしてくる奴はクズ野郎だ。しかし、まさかその先10年も、折りにふれては先輩に振り回されて暴走機関車と化すなどとは、女子中学生の私には思いもよらない。
しかし、地獄の乙女は世にもたらされた。
<つづく>