動物園の猿山を見て感じたこと

先月末、お墓参りのために家族で集まり、その足で動物園に行った。

 

動物園をぐるりと見て回った後、閉館までさほど時間がないというところで、甥っ子のたっての希望により、最後は昆虫鑑賞となった。しかし、着いた頃にちょうど閉館。動物園が閉館する30分前に昆虫館は閉まるらしい。絶望に打ちのめされる甥っ子。

 

そのすぐそばには標識が立っており、小さな丘を登った先に猿山があることを示していた。猿山まで競争しようと提案すると、ヨーイドンと掛け声をあげて甥っ子は我先に走り出した。姪っ子も笑い声をあげて追いかけてくる。

 

丘の頂に位置する猿山は、丘を深く掘り下げて作られている。丘に立つ私達の目線の高さに、猿山の頂上が見える。甥っ子を追う形で頂上に着き、自然と目に入った猿山を見据えると、身を寄せ合って暖をとるグループが点在していた。

 

グループの一つに居た、栗毛が豊かに伸びた顔の真っ赤な猿と目が合った。いつ歯を剥き出し威嚇されてもおかしくない、怒気をたっぷりと含んだ目線。視線がズレた瞬間には火の粉を感じた。

 

猿山に近づくにつれ、その全貌が目に入った。猿山には深い谷があった。そこには、体のあちこちにハゲがあり桃色の地肌が剥き出しとなった猿がいた。

 

彼らも猿山の上にいるグループと同じく、冷たい外気から身を守るべく身を寄せ合っていた。その日の灰色の空は、切りつけるように冷たかった。

 

谷の底で身を寄せ合う桃色の猿の中でも一際ハゲの多い猿が目に付いた。小学校で飼われていた鶏が頭をよぎる。その猿は単独であった。

 

彼を近くで見ようと猿山を半周し、真上の辺りと思われる柵に手をかけて覗き込んだ。覗き込むまでの間に彼は少し移動していた。遠目で見るよりもハゲていたが、彼は小さなグループに身を寄せていた。身を寄せ合う個々の目つきは空虚だった。

 

それでも心が少し軽くなったように感じていると、視線が別の生命の気配を捉えた。手をかけた柵のほとんど近くに、一匹の黒々としたゴキブリがいた。季節外れのこの生物は谷へと長く伸びた壁に張り付いている。羽の収まりが悪く、寒さのせいか動きは鈍い。

 

距離を取るべく、ゆっくりと柵を離れ、数歩移動してまた柵から覗き込む。さきほどのゴキブリの姿はなくなっていた。

 

野生生物であるから、人間の視線から逃れた隙にどこかへ行ったに違いない。また谷底の猿に目を向けると、グシャリと音が聴こえてきそうなゴキブリの姿が見えた。すぐ側には桃色の猿がおり、空から落ちてきたゴキブリを見ている。

 

猿はゴキブリを食べるのか?とふと疑問に思った。食べないにしても、攻撃の対象にはなるのではないか?何にせよ、猿に視線を注がれるゴキブリにとってはピンチに違いない。

 

ふたつの生物の様子を見守っていると、猿はゴキブリを避けるようにその場を去った。何となく、気持ち悪がっているような様子だった。猿にとってもゴキブリは好感を持てる生物ではないのかもしれない。あとに残されたゴキブリはヨロヨロと歩み始めた。

 

「もう見ていられない」と強烈に思った。猿山の頂上で身を寄せ合う猿も、強い猿に毛を抜かれ地肌が露わになった猿も、そこに紛れ込んでしまったゴキブリも。この山は悲哀に満ちている。

 

猿山の桃色の猿を見た瞬間、母はひどく悲しそうな、切なそうな表情を浮かべ、孫達の手を引いて早々に立ち去った。人間が社会で生きるときの無慈悲さを、猿社会にも感じ取ったようだった。母の悲しみは明らかに谷底にいる猿たちへの共感に根差していた。

 

猿山を後にし、手をつないで歩く母と甥っ子、姪っ子の小さな背中を見る。猿山の弱い猿たちに共感して胸を痛め、あとは見ようともしないというのが何とも母らしい。赤児を抱きながら猿山の生態に関する説明を食い入るように読んでいた姉と合流して、少し笑った。姉は仕入れたばかりの猿山の仕組みについて説明をしてくれた。

 

野生の猿はいくつもの群れを行ったり来たりすることで、相性の悪いグループに身を置かないように調整しているらしい。しかし、動物園で飼われている猿はそういうわけにはいかない。そのため、弱い猿は強い猿から嫌がらせを受けて、毛を抜かれたりするらしい。

 

広がらない世界。終わりのない生活。立場を挽回できるチャンスはあるのだろうか。空虚な目つきの谷底の猿も、何かに怯えながら身を寄せ合う猿山の猿も。這い上がれない諦めと、いつ転がり落ちるかわからない恐怖に満ちていた。

 

振り返ると、頂上付近で交尾をする猿が目についた。なんとなくバツの悪い気持ちになって顔を戻す。喋る気は失せていた。

 

産後うつのようで、年明けから折に触れて離婚したいと口にするようになった姉と、猿山の谷に共感を覚える母と、空虚な私。人間の生活というのも、なかなかに体毛を毟られるような歩みであることには違いない。

近所の汁無し

ランチタイムを外して、会社から徒歩2分のラーメン屋に入る。客と店員が同じ人数である。メニューに一通り目を通し、やはり汁無し担々麺を注文した。汁無し1つ、という店員の声が響く。

間も無く、店員が目の前に皿を置いた。無心で混ぜるとパクチーや山椒、黒い味噌がすぐに絡み合った。口に含むと、記憶していたよりもずっと美味しい。作る人によって、それほど変わるものなのだろうか?などと考えていた。

店員の一人が、3番入ります、と口にしながら私の側に位置するトイレに消えた。客と店員の人数が等しい。トイレの扉の奥からはさきほど私が閉じた便座を持ち上げる音や細長い水が勢い良く注がれる音が聞こえた。

一方、私は麺を啜っていた。次第に、なぜ私は麺を啜っているのかという疑問や戸惑いの気持ちが強くなった。私は目の前の麺をきちんと食べられているのか、食べているのか、食べている行為が希薄に思えた。

トイレの扉が勢いよく開き、店員は厨房の奥に消えていった。トイレの扉は開かれた勢いのまま止まり、戻ることはなかった。視界の隅に便器の姿を感じながら、私は麺を啜った。店員らは、チャーシューの仕込み具合などを話していた。

最後の一口が流し込まれたとき、違和感が残った。最後の一口までずっと美味しい。それは、前回の食後とは異なる感想で、前回はパクチーと山椒の香りが口内に強めに残り、注文したことをうっすら後悔したほどだった。

3分の1はただ美味しく、次の3分の1はそれまでの美味しさを後追いし、最後の3分の1はクロージング。今回の分析結果である。次はおそらく、もっと美味しく感じるようになっているかもしれない。こうして人は常連になっていくのだろう。2ヶ月に1度汁無し担々麺を啜る女を記憶する店員には思えないので安心だ。

車道を走る車が反射した西日がトイレに吸い込まれていく様子を視界の隅に見ながら、空のお椀にこべりついた辛味噌を眺めて、仕事に戻った。

地獄の乙女 〜女子中学生編〜

かれこれ1週間ほど、坂口健太郎のあの恐ろしくモテそうな様子について考えている。彼のストーカーになりたくなるほど恋心をこじらせてしまった女子がこの世界にいるんじゃないか?と。しかしそれは、まさに学生時代の自分だった。当時のことを文字にしてみる。

 

ずっと憧れていた先輩がいた。小・中・高校生、しかも大学生になってまで、10年以上も憧れ続けた先輩。その理由は、まず見た目が大きい。顔の造形がどストライクだった。

先輩はNARUTOという漫画に出てくるサスケというキャラクターに見た目がそっくりだった。そっけない態度、身体能力の高さ、何をやらせても平均点がずば抜けて高い、という点まで共通している。NARUTOを初めて読んだ中学生のときに「サスケはあの先輩そのものだ」と確信した。

先輩は、一学年上だ。野球部に所属しており、さらに一学年上にいた私の兄やその他の年上部員を軽々と凌駕する身体能力の高さでレギュラーを獲得した。シビアなスポーツの世界で死屍累々の上に君臨する先輩に憧れることを止められなかった。当時バスケ部に所属していた私は、ランニングの度に先輩の姿を探したものだった。

中学校の体育祭、リレーのアンカーで2位のチームを大きく引き離し、両手を突き上げてゴールテープを切った先輩の姿を今でも覚えている。

 

きっかけは、先輩たちの卒業が数週間後に迫る頃。新しく始まる高校生活に向け、多くの先輩たちが携帯電話を手にし始めた。間も無く訪れる中学校生活との決別に備えて、連絡先を交換していた。それは、たとえば部活の後輩にも及んでいた。

野球部に所属していた同級生の男子が「あの先輩とアドレスを交換した」という情報を耳にした。私はすぐ、先輩の連絡先が知りたいとその男子に詰め寄った。同級生が先輩に確認を取ると、アドレスを教えても良いとの許可があった。こうして私は先輩のメールアドレスを手にした。「先輩に近づけるかもしれない…!」バラ色の生活が始まるかと思われた。しかし、私には大きな懸念もあった。

 

当時の私は、肩にかかる程度のストレートヘアをサラサラとなびかせるといういかにも女子中学生らしいヘアスタイルをしていた。しかし、先輩のアドレスを手にするちょうど数日前、髪が大幅に散った。地方のリーズナブルな美容室に、ヘアスタイル雑誌の切り抜きを再現できる人材はなかなかいない。そういう現実をいまいち理解できていないのが中学生というものだ。つまり、散髪で大失敗していた。

私は、同級生から久本雅美とからかわれるほどのベリーショートになっていた。中学2年という自意識が最も高まる頃に、頬骨や顎のラインを隠せる髪の毛がないことは死活問題だった。モンチッチのようで可愛い、と自分を励ますので精一杯だった。

 

さすがに先輩の目にその姿を晒すわけにはいかない。絶望的な状況ではあったが、受験が終わった先輩らは学校に来る日数が少なく、登校したとしても過ごす時間も短かったため、顔をあわせることはなかった。先輩が高校生活に慣れる頃には、私の髪の毛も少しは人間に近づいているはず。それまではメールで先輩と距離を縮められれば良い。そんな戦略を立てていた。

 

そうして始まった先輩とのメールの第1通。

 

「最近髪の毛切ったよね。いいんじゃない?」

 

先輩の先制パンチ、女子中学生私、クリティカルヒット。見事に大爆発した。その後10年以上にわたる暴走スイッチが入ったのは完全にこの瞬間といえる。
余談だが、この喜びは女子高生になっても色褪せず、“オリジナルの詩を作って各自が発表する”というある授業で「みんなに馬鹿にされたこの髪型も 先輩が褒めてくれたから大成功になりました」という詩に読み上げ、教室をざわつかせた。それくらい舞い上がる出来事だった。女子中学生の私は光の速さで返信をした。

 

「えっ。短くなりすぎてみんなにからかわれて落ち込んでいたんです>_<。でも先輩に褒めてもらえて嬉しい…!好きです。付き合ってください。」

 

「いいよ」

 

あまりの舞い上がりっぷりに思わず告白してしまった自分と、先輩からのまさかのOK。幸せの絶頂。

 

先輩とのお付き合いが始まった。何でもないような質問に、先輩が答えてくれる。このメール画面の向こうには、同じくメール画面を覗く先輩がいる。そのように考えると眩暈がするような高鳴りを覚えた。先輩のメールを何度も何度も見返しては、反芻した。先輩に、電話もしたいです、と素直な気持ちを伝えてみた。先輩は、電話は苦手だから無理、別れよう、とのことだった。4日で振られた。諦めきれず、返事の来ないメールを送る日々をしばらく続け、やがて閉じた。

 

今考えれば、こんな振り方をしてくる奴はクズ野郎だ。しかし、まさかその先10年も、折りにふれては先輩に振り回されて暴走機関車と化すなどとは、女子中学生の私には思いもよらない。

 

しかし、地獄の乙女は世にもたらされた。

 

                                               <つづく>

スポットライトを浴びるべき人間

バラエティ番組に出演する坂口健太郎を見ていたら、「なるほど、これはストーカーされる側の人材だ」と思った。今日の昼間、坂口健太郎のモテエピソードとやらをネットニュースで目にしたばかりだった。
高校の卒業式の際には、ファンらによって身ぐるみをはがされ、最低限の装いで学校を後にしたらしい。そんな話がニュースと言えるか!そう思おうとする片隅で、「いいなぁ」という声がある。紛れもなく、私の本心だった。正確には、女子中高生気分に戻った私の本音。

 

学生時代にあんな格好良い先輩がいたら、紛れもなくファンになっている。多分、卒業式にはボタンなどをもらいにいけないタイプの、情けないファン。同じく坂口健太郎のファンをしている偏屈な同級生と、「先輩が校門から駐輪場に入り自転車を停める様子を一部始終目撃した」だの「3メートル先を歩いていた先輩の残り香を嗅いだ」だのといった自慢合戦に本気で一喜一憂していることだろう。
坂口健太郎はそういう偏屈な女達まで惑わせる魅力があるように思う。

 

彼はバレー部だったらしい。彼を見たいがためにきっと体育館は女子で溢れていたはずだ。その女子の中でも一際可愛さを放つ女子が、坂口健太郎の彼女。ふわふわとしたやわらかいパーマの茶髪に、くっきりとした瞳、白くて透明な肌。小柄で華奢な身体は、ベージュのカーディガンにすっぽりと包まれている。好きな人に対して、何のためらいも惜しみもなく、まっすぐに愛情を伝える笑顔を放つ。同性ですら、その眩しさに目を奪われ、動悸がしてくる。
スポットライトが当たる者同士ゆえに、お互いの存在にすぐ気づき、目を合わせ、惹かれ合い、手を取り合ったということにどんな疑問を投げかければ良いだろうか。部活が終わり、帰り支度を済ませて体育館から出てきた坂口健太郎がたくさんのファンの中から彼女だけをすぐに捉え、そのまま彼女と手をつないで校門を出ていく。

 

私と友人は、二人の様子を校舎のベランダから見送る。この位置からは、アタッカーをしている坂口健太郎の練習風景がよく見えるのだった。胸からスカートにかけて付いた、手すりの埃を払う。「よし!園子温のDVDでも借りて観ようか!」「いいねー!そうしよ!」などと空元気で帰る。

モテる人種はおそらく、園子温の作品で発散したり癒されたりなどはしない。モテと非モテはどこまでいっても、天と地だ。残念ながら。

完璧を求めすぎる人間が陥りがちな5つの願望

どんな人間も、多かれ少なかれ“理想の自分”をイメージしているもの。あんな自分や、こんな自分。理想とする自分になれたら、どれほど素敵でしょう!?しかし、中には理想の自分を追い求めて完璧を目指すあまり、本来の自分を見失ってしまう人も。そこで今回は「完璧を求めすぎる人間が陥りがちな5つの願望」について考えいきましょう。あなたはいくつ当てはまるかな?

 

1.誰からも完璧に愛されたい

完璧な人間の代名詞と言える人徳。誰だって「他人に嫌われて幸せだわ〜♪」なんて人はいませんよね!しかし、他人から完璧に好かれたいという願望が行き過ぎると、こんな危険も。

出会った人々は老若男女問わずに皆が皆、自分に好意を持たずにはいられない、“愛され無双状態”を願ってしまうのです。しかも、その好意は恋愛感情などというチャチな好意などではなく、「たとえ恋人関係になれなくても、一生付き合い続けたい」という永久不滅の完璧な好意を注がれたいという願望に変化していくのです。全世界から永久不滅の愛情を求めているあなたは非常に危険な状態と言えるでしょう。

 

2.仕事も家庭も完璧でありたい

これも、パーフェクトヒューマンの代名詞。今の時代は、男も女も、仕事と家庭がきっちりこなせて初めて完璧!なのです。誰かの収入に頼らずに、自分のことは自分で面倒が見れるほどの経済力。自立しつつも自律心があり、最も身近な人間である家族への配慮は怠らず、家庭は円満そのもの。良き夫、良き妻の鏡。器用さの塊。その上、見た目の造形まで美しい!さらに、年齢を重ねることを言い訳にせず、自分の夫や妻にいつまでも異性として見られるように、心身ともに努力を怠らないサボらない。

公私ともにそんな人生が理想だと思っているあなたは既にパーフェクトヒューマンモンスターです。毎朝、寝起きですぐに鏡の前に立ち、現実と折り合いをつけるトレーニングが有効となります。

 

3.英語ができたい

完璧な人間というのはグローバルであることは必須。日本語だけが喋れる言語くらいでは満たされるはずがないのです。グローバルでパーフェクトなヒューマンを目指すとき、最低でも英語の語学力は必須となります。英語を喋っているだけで“格好良さが3割り増し”ですからね!

しかも、日本人は英語圏の人種に対して憧れを持ちがちでもあります。パーフェクトヒューマンを目指して英語の勉強をするのは悪い傾向ではありませんから、これは普通に努力していきましょう。年収が上がる可能性すら含まれてきます!

※スキルが上がることで、仕事も家庭も完璧でありたい!願望が併発する可能性が高くなりますので、くれぐれも注意が必要です。

 

4.自分を追い込み過ぎてどM化

完璧を求めて自分を追い込む癖が恒常化すると現れるのが、どM化です。どMにでもならなければ、完璧を求めるときに同時に向き合わなければいけない“完璧でない自分”に耐え続けることができません。完璧でない自分を受け入れる痛みに耐えるために、どMと化していくのです。どMになるが最後、完璧を目指すための痛みと、それ以外の無用な痛みの区別を付けられなくなります。どんな痛みにも耐えることが、完璧への道に繋がっていると感じるようになります。

ここまでくると、当初に思い描いた理想の自分などは見る影もありません。あてもない何かを探し彷徨う亡霊であり、理性を失ってもなお新鮮な血肉を求め歩き続けるゾンビです。冷静に自分を見つめることが困難な状態になっているため、霊感のある人物に供養してもらうか、誰かに拳銃で脳味噌を撃ち抜いてもらうしか、この悲劇を止める方法はありません。もはや人間ではないのです。周囲にいる冷静な人間があなたを静かに始末してくれることを祈りましょう。

 

5.もはやロボットになりたい

どMと化し、生きる屍としての生活が佳境に達したとき…もしあなたに一瞬でも人間としての感情が浮かぶ場合は、痛みに耐えるだけの人生に心底うんざりしてきます。しかし、自分の目の色が黒いうちは、完璧になることを諦めるなんてできない。調子が良い時は頑張れるけど、どうしてもムラが出てしまって完璧になれない。コンスタントに完璧でいられるには?何も感じず、無心でひたすら同じ生産性を保つには?

そう、ロボットになることです。現時点ではこれほど完璧な答えはありません。AIに嫉妬すら感じるようになります。AIは学習することで痛みを示すコミュニケーションもできるでしょうが、あなたが感じてきた痛みとは別物です。痛みを感じられるのは身体という実体を持つ証拠ですから、ロボットになることは来世の夢に託しましょう。

あるいは、人間界では自分が完璧でないように感じたとしても、あなたほど人間らしいロボットはいないので、ロボット界では最先端です。最先端型人間ロボとして、人間界で誇りを持って生きましょう。

 

 

完璧を求める人間が陥りがちな願望を5つ紹介しましたが、いかがでしたか?

1つでも当てはまる人はすでに破滅に近いですが、まだ終わってはいません。今すぐ、理想の自分こそ完璧という幻想を脱ぎ捨てる努力にエネルギーを向けましょう。

5つ当てはまる人はもう人間離れが過ぎるため、専門家に頼ることが理想的です。明日朝一で病院へ行くと良いでしょう。

時々思い出す、学生時代の先輩

差し迫って連絡を取る気もないけれど、数年に1度思い出してはあたたかな気持ちにさせてくれる先輩がいる。大学時代に所属したフットサル部の、3学年上の先輩である。

 

彼は国内外問わずさまざまな土地を放浪した結果、もう一度大学生をしていた。当時4年生の段階で、30代前半だったと思う。

さすがに若者という雰囲気ではない。しかし、彼の特異さは決して年齢の問題ではなかった。何につけても型破りだったのだ。

 

まだ10年も経っていないが、わたしが大学生になった頃にはすでに、大学のルールは厳格化が進んでおり、構内ではお酒や煙草が禁止されるようになっていた。

そんなことは構わず、先輩はそこらへんで煙草を吸っていた。学祭の時期などは子供も来るので特に注意するものだが、先輩はやはりそこらへんで煙草を吸っていた。あまりにも堂々と吸うので、注意することはナンセンスに思われるほどだった。

 

しかも、先輩が吸っているのは、背伸びをしたい女性が吸うような、タール・ニコチンの弱めな「ペシェ(現代のペティル)」だった。

パステルピンクのボックスから細くて長い華奢な煙草を取り出して、プカプカとふかした。先輩にはわかりやすい格好付け精神がない。会話の途中、吸い殻を何でもなさそうに、ぴんっと指で弾いて捨てた。屈託のない最低さに、笑わずにいられなかった。

 

先輩は英語科に属していた。アイスランドだったか、アイルランドへ留学していたらしい。そのときの生活を聞くと、釣りをして魚を売りさばいて生計を立てていたそうだ。そのような行為は現地では違法だったとか。話している先輩にとっては、違法だったことなど取るに足らないといった様子だった。

先輩は英語科に属し、教職をとっていた。先輩も教師になるつもりでいる。「この人はとんでもない教師になる」と思ったのはわたしだけではないはずだ。

 

またあるとき、友人からこんな話を耳にした。その友人は大学生にしては希死念慮が強く、それを隠さないタイプの青年である。

よほどの関係性があっても、暗い話というのはあまり歓迎される類の話題ではないので、彼が死にたがっている話を持て余している人間は少なくなかった。

 

ある日彼は、その先輩にも、死にたい気持ちを打ち明けたそうだ。先輩は「セックスをしろ。おっぱいを揉め」とアドバイスしたらしい。彼にはそういった女性経験も、死にたいと言ってセックスを勧められた経験もなかったため、戸惑ったようだ。そういった戸惑いの気持ちを打ち明けてきたので、わたしも先輩の意見に賛同だと付け足しておいた。

 

あの先輩の大胆さにはいつも感心させられたものだった。この世界のどこかで先輩が教師をしているかと思うと、あの豪快な笑い声がどこかの教室に響いているのかと思うと、わたしはそんな世界が好きだと思うのだ。

高校時代のある先生について

個性的な先生というのは当時にしても印象が強く、卒業後も記憶に残る。自分の年齢が先生の当時の年齢に近づくにつれて、納得できたり理解できたりすることがある。いつまでもその真意にたどり着けないこともある。

 

消化されずに心のどこかに留まった先生らの言葉は、時々思い出されては心の中で反芻される。スノードームのようにハラハラと舞って、沈む。痛くもなく痒くもなく、かといって美しくもなく喜びでもない。身にあまる、光栄だ、といった言葉で飾り付けることもできるが、実のところ、ただ、言葉がべったりと残っているだけだ。先生によって植え付けられた教育の欠片といえる。

 

その先生は、たしか現代社会という教科を担当していた。白髪のきのこヘアーで、前髪は7:3に分けられていた。少し大きめのズボンに、これまた少し大きめのワイシャツをしっかりとしまい、サスペンダーで留めていた。ぽっこりと出たお腹までは隠せていない。80年代風のフレームが大きい眼鏡をかけていた。穏やかそうなおじいちゃん先生である。

先生の見た目には、今でいう“ゆるキャラ”のような、キャラクター的な可愛さがあった。そういった見た目がとくに、私の通った女子高の生徒らにとって、どこか小馬鹿にしてしまう要因でもあっただろう。

 

先生はかつて、大病をされたことがあったらしい。左右どちらかの手に麻痺が残っていた。板書はお世辞にもきれいな字とは言えず、大きく右下がりになってしまう。何よりも特徴的な後遺症は発話においてだった。話をしていると、しゃっくりのような引きつけが起きて、語尾に「ネヒ」と聞き取れるような音が混じってしまう。私達は影で、「ネヒ」というあだ名で先生を呼んだ。

 

先生は腹筋に力が入りづらいのか声量が弱く、掠れていた。その上、語尾に「ネヒ」という謎の音が聞こえてくるものだから、先生の授業を真面目に聴く生徒はほとんどいなかった。ある友人の報告によれば、40分の授業で113回ほど語尾に「ネヒ」がついていたとのことだった。こういった若者特有の先生への好奇心は残酷ではあるが、悪意はなかった。先生はそのあたりを理解しつつも、しかし、されるがままでもないのだった。

 

先生の授業では、よくよく耳を澄まして聞いていると「君達のように無知な人間は…」とか「君達のような若者はロクな大人にならないだろう」などと言った悪口が織り交ぜられていることが多々あった。誰も真面目に授業を聞いていないことを良いことに、報復していたのである。

先生が学生の時分は学生運動の全盛期だったそうだから、そんな先生から見れば、現代の女子高生がロクに勉強もせず、バレないとでも思っているのか授業中に漫画を読んだり携帯を必死に覗いたりする様子こそ馬鹿馬鹿しいと感じたに違いない。

 

私は、高校時代などは勉強への熱意をすっかり無くしていたので上の空ではあったが、先生を応援したいという気持ちは強かった。先生の影に、病気を患い、仕事ができない心身となった自分の父親の姿を投影させていた。女子高生に舐められながらも、病気を患った体で教壇に立ち、ボソボソと生徒らの悪口を言う逞しい姿に何とも言えぬ愛しさを感じていた。

 

ある時には「早く定年退職がしたい。定年後が楽しみで仕方がない」という雑談をしていた。自分には読みたい本や行きたい場所がたくさんある。定年後にはそれらを思う存分できるので、早く退職したい、とのことだった。そこには生徒らとの別れを惜しむような哀愁などは一切なく、好奇心と学習欲へのひたむきさだけが感じられた。先生がとても幸せそうに見えた。私はひとり、衝撃を受けていた。大人の退屈さや歳を取る惨めさ、病気の悲惨さなどが先生には何一つ感じられなかった。幼い頃から日々コツコツと積み上げた知識によって、先生は足元から身体を強く支えられていた。

 

先生が定年退職をする最後の年に、私は先生の副担任のクラスだった。前述のような目線で私は先生を捉えてきたが、先生にどのように見られていたのかは全く無関心であったことに自覚がなかった。先生のクラスの生徒として最後の日、担任と副担任の先生2人が、クラスの生徒一人一人に宛てて手紙を準備してくれていた。副担任だったその先生の手紙には、以下の言葉が書かれていた。

 

「社会からの信頼を得なければ真の大人とは言えず。恵まれた才能を開花させてください。」

 

もう10年も経ってしまったのに、未だに持て余し、真の大人になれずにいる。先の手紙は手帳に挟んで、時々眺めては戒めとしていたけれど、3年前に酔っ払って手帳ごと無くしてしまった。それでも、こびり付いて離れずにいる言葉を反芻している。何かを見つけられた実感がない。先生にすがりついて、先生には私の何が見えたのか、問いただしたくなってしまう。

先生がお元気で、やわらかな陽のあたる、あたたかな場所で読書を楽しんでいることを祈る、などと綺麗事で終わらせたい気持ちもある。

先生が残したものは、本人が思っているよりもずっと大きい。