就活生必見!マジで実践されたヤバい就職活動トップ3

新社会人が希望と不安を胸に過ごす新年度が始まって1週間以上が過ぎましたね。社会にはやはり想像以上の絶望や希望が転がっているものです。酸いも甘いも無理やり押し込んでくるのが社会ですが、入社という切符を掴まない限りはその味も味わえません。


今回は、社会微適合者の私によってマジで実践されてきたヤバい就職活動についてまとめてみました。社会人を目指して頑張る学生はぜひ参考にしてみてください!


第3位.目立つが勝ち!履歴書送付で勝手にエントリー


型に決まった方法ばかりで就活している人におすすめしたいこの方法。ベンチャー系や、営業力必須タフ系企業へのエントリーにおすすめです。


今はたいていの会社がネット応募を窓口にしています。ネット応募のみ、という会社にこそ、あえてネット以外の方法、手紙で応募してみましょう。


郵送するのは、送付書と履歴書です。履歴書は普通に記入し、送付書のほうにありったけのやる気をぶち記して送り付けてやりましょう。


本人のやる気とマンパワーを何よりも重んじるベンチャー系や、営業力必須タフ系企業がそんな強引なやり方をする人間を無視するはずがありません。1週間以内に、面接を取り付けるための電話が来ることでしょう。


逆に、連絡をして来ないような会社はにわかです。こちらから願い下げてやりましょう。


私はこの方法で2週間で入社が決まり、営業職としてバリバリキャリアを作りながら8ヶ月で辞職、3ヶ月引きこもりになりました。新卒で入る会社はマジで慎重に選びましょう。

 

第2位.想いよ届け!半紙に決意


半紙に自分の最も好きな言葉と、電話番号を書き記して、会社に郵送します。これは自分の熱意と人柄を最もシンプルな形で伝える極限の方法です。間違っても履歴書を同封するなどというダサいことをしてはいけません。


どんな会社にこの方法が最適か?それはフィーリングの問題です。この会社とはフィーリングが合うみたい!そう感じた会社に送り付けてみましょう。


私はこの方法を実践した時「覚悟」という二文字を選びました。半紙の左隅にフルネームと携帯の番号を記し、右下の隅にはカブトムシのシルエットを書きました。その会社の社長がカブトムシ好きだという情報があったからです。


この会社からは何も連絡がありませんでした。フィーリングが合わなかったのです。ハートの強い猛者は、電話で「半紙の文字は読んでもらえましたか?」などと追撃してみても良いでしょう。


第1位.ビル崩壊レベルのインパクト!自身の自慰歴史を送る


社会人の自己開示でも最たる飛び道具、下ネタです。会社と下ネタはまさに水と油、ウナギと梅干し、相性最悪の組み合わせです。誰も手を出せません。それを逆手に取ることで、出た杭になれるのです!


私はこの方法を日本一有名な自慰グッズ会社のエントリーで実践し、面接まで漕ぎ着けました。熱意を示すべく、履歴書にも「服を脱ぐ以外は何でもします!」と書き、面接に挑みましたが、普通に落とされました。面接以降のトークと履歴書は、真面目にやらないと人間性を疑われて落ちます。やはり、就職活動で下ネタは辞めておきましょう。


いかがでしたか?
熱意と情熱があれば、壁は意外と突破できます。しかし、壁を突破した後も熱意と情熱だけではなんともならないのが社会の厳しさでもあります。正攻法では突破できない部分は変化球で突破し、その後にこそきちんとしたテクニックやスキルで評価してもらえるような真っ当な生き方をしましょう。というか、王道がやはり一番平和で安全です。飛び道具を使わないで済む生き方を目指しましょう。

上司の天然がひどい

年末に異動してきた、新しい上司がなかなかやばい。左隣のデスクである。向こうから話しかけきたので返事をすると、パソコンを見ながら無視されたりする。


は?と思いながらこちらもスルーを決行すると5秒後に返事があったりするので、今度は完全に無視することにしている。


自分は刹那主義だ、といった主旨の発言を口にしていた。一所懸命であることを良しとする人物なのだとその際には結論したが、最近になってどうやら違うことに気付いた。昨晩の夕飯も覚えていられないらしい。記憶力が乏しいことを格好つけて表現しているのだ。


何より、聞き間違いがひどい。


仕事関連の会話を相手が持ちかけてきたので返事をすると、パソコンを見ながら無視され、数秒後に


「え?カエルを食べて良いですかって?」


などと聞き返されたりする。言わねーよ。普段でも言わねーし仕事中には絶対言わねーわ。わかるだろ普通。口に出そうになる罵声を飲み込みながら、


「仕事中にそんなこと言わないですよ。周囲に誤解されるのでやめてもらえますか?」


と釘を刺すと、


「いやいや。こっちもそんな発言を急にされてびっくりするから聞き返してるんだよ。」などとのたまう。


これが1日一回ある。マジで。


立派なイクメンぶっているが、競馬愛が衰えない。独身時代、年に一回の楽しみは、自分の誕生日にVIP席を予約して競馬を見ることだったらしい。その日は楽しみでよく眠れず、いてもたっても居られずに朝5時から開場を待っていたとか。


そのエピソードを聞かされたとき、私は誠意を込めて伝えた。
「〇〇さん(上司の名前)、そういう痛いところありますよね。…良い意味で。」


痛いところありますよ、のところで上司がカチンときてそうな表情をしたため、急いで「良い意味で」というフォローを付け加えたにも関わらず、上司の機嫌が微妙になった。これだから、天然な人間はわからない。

観光外国人に話しかける癖

観光外国人に話しかけてしまう癖がある。道に迷っていそうな人、限定であるが。

 

決まって英語で話しかけるものの、大して話せる訳でもない。「あなたのことを助けましょうか?」などと意気揚々と話しかけてきた日本人女のたどたどしい説明を聞かされる、という忍耐が相手には求められる。残念ながら、私の手助けはいつも、手放しの完璧なヘルプなどではない。

 

週末、とくに約束のない予定のために移動する中で、駅構内の地図を食い入るように見つめる外国人カップルに遭遇した。

 

彼女たちを横目で見ながら、想像した。彼女たちは今困っているではないか?私にできることがあるのではないか?

 

彼女たちをヘルプする未来。彼女たちをヘルプしない未来。この二択で、どうしても刺激的に思われる未来を選んでしまう。


尋ねてみると、駅構内にある有名画家の壁画が見たいらしい。ネットで調べた写真を見せてくれた。その場所を理解できた私は説明を試みたが、すぐに諦めた。案内する文法がまったく浮かばないのだ。その場所まで実際に案内することを選んだ。


移動中、いつものように日本に来た理由や滞在期間、日本のどこが好きかなどを質問攻めした。女性のほうが日本文化のファンで、日本学校に通いながら8月まで日本に滞在予定だという。控えめなオランダ人カップルで、あれこれ聞きたがる私にやや困惑している様子だった。

 

彼女たちが探していた壁画が目前になった頃、階段を降りれば右手に見えてくるよ、と伝えて、別れることにした。相手方はとてもありがたそうにお辞儀をしてくれた。


案内の後、私は例えようのない高揚感に支配されていた。手足が痺れてくるような興奮だった。日本に観光にきた人の一瞬に関わること、日本とは異なる文化圏の人に善意という名目で介入すること。実にスリリングで、最高の時間だ。


目的地へ向かう電車を目指しながら、壁画を前に、2人のツーショットを撮ってあげるべきだったのではないか?などと後悔の念が浮かんだ。あなたならもっと、日本の面白い街を案内できるのに、Facebookで友達にでもなれば良いのに。


次から次に、もっとやれたという気持ちが湧く。冷ややかな視線も感じる。クスクスと笑う声も感じる。


一つ一つを振り払うように、駅へ向かって歩く。迷いも喜びも後悔も含めての時間だ。観光外国人の一瞬に関わるために話しかけることはスリルだ。歓喜だ。喜びと絶望だ。もはや性癖だ。

動物園の猿山を見て感じたこと

先月末、お墓参りのために家族で集まり、その足で動物園に行った。

 

動物園をぐるりと見て回った後、閉館までさほど時間がないというところで、甥っ子のたっての希望により、最後は昆虫鑑賞となった。しかし、着いた頃にちょうど閉館。動物園が閉館する30分前に昆虫館は閉まるらしい。絶望に打ちのめされる甥っ子。

 

そのすぐそばには標識が立っており、小さな丘を登った先に猿山があることを示していた。猿山まで競争しようと提案すると、ヨーイドンと掛け声をあげて甥っ子は我先に走り出した。姪っ子も笑い声をあげて追いかけてくる。

 

丘の頂に位置する猿山は、丘を深く掘り下げて作られている。丘に立つ私達の目線の高さに、猿山の頂上が見える。甥っ子を追う形で頂上に着き、自然と目に入った猿山を見据えると、身を寄せ合って暖をとるグループが点在していた。

 

グループの一つに居た、栗毛が豊かに伸びた顔の真っ赤な猿と目が合った。いつ歯を剥き出し威嚇されてもおかしくない、怒気をたっぷりと含んだ目線。視線がズレた瞬間には火の粉を感じた。

 

猿山に近づくにつれ、その全貌が目に入った。猿山には深い谷があった。そこには、体のあちこちにハゲがあり桃色の地肌が剥き出しとなった猿がいた。

 

彼らも猿山の上にいるグループと同じく、冷たい外気から身を守るべく身を寄せ合っていた。その日の灰色の空は、切りつけるように冷たかった。

 

谷の底で身を寄せ合う桃色の猿の中でも一際ハゲの多い猿が目に付いた。小学校で飼われていた鶏が頭をよぎる。その猿は単独であった。

 

彼を近くで見ようと猿山を半周し、真上の辺りと思われる柵に手をかけて覗き込んだ。覗き込むまでの間に彼は少し移動していた。遠目で見るよりもハゲていたが、彼は小さなグループに身を寄せていた。身を寄せ合う個々の目つきは空虚だった。

 

それでも心が少し軽くなったように感じていると、視線が別の生命の気配を捉えた。手をかけた柵のほとんど近くに、一匹の黒々としたゴキブリがいた。季節外れのこの生物は谷へと長く伸びた壁に張り付いている。羽の収まりが悪く、寒さのせいか動きは鈍い。

 

距離を取るべく、ゆっくりと柵を離れ、数歩移動してまた柵から覗き込む。さきほどのゴキブリの姿はなくなっていた。

 

野生生物であるから、人間の視線から逃れた隙にどこかへ行ったに違いない。また谷底の猿に目を向けると、グシャリと音が聴こえてきそうなゴキブリの姿が見えた。すぐ側には桃色の猿がおり、空から落ちてきたゴキブリを見ている。

 

猿はゴキブリを食べるのか?とふと疑問に思った。食べないにしても、攻撃の対象にはなるのではないか?何にせよ、猿に視線を注がれるゴキブリにとってはピンチに違いない。

 

ふたつの生物の様子を見守っていると、猿はゴキブリを避けるようにその場を去った。何となく、気持ち悪がっているような様子だった。猿にとってもゴキブリは好感を持てる生物ではないのかもしれない。あとに残されたゴキブリはヨロヨロと歩み始めた。

 

「もう見ていられない」と強烈に思った。猿山の頂上で身を寄せ合う猿も、強い猿に毛を抜かれ地肌が露わになった猿も、そこに紛れ込んでしまったゴキブリも。この山は悲哀に満ちている。

 

猿山の桃色の猿を見た瞬間、母はひどく悲しそうな、切なそうな表情を浮かべ、孫達の手を引いて早々に立ち去った。人間が社会で生きるときの無慈悲さを、猿社会にも感じ取ったようだった。母の悲しみは明らかに谷底にいる猿たちへの共感に根差していた。

 

猿山を後にし、手をつないで歩く母と甥っ子、姪っ子の小さな背中を見る。猿山の弱い猿たちに共感して胸を痛め、あとは見ようともしないというのが何とも母らしい。赤児を抱きながら猿山の生態に関する説明を食い入るように読んでいた姉と合流して、少し笑った。姉は仕入れたばかりの猿山の仕組みについて説明をしてくれた。

 

野生の猿はいくつもの群れを行ったり来たりすることで、相性の悪いグループに身を置かないように調整しているらしい。しかし、動物園で飼われている猿はそういうわけにはいかない。そのため、弱い猿は強い猿から嫌がらせを受けて、毛を抜かれたりするらしい。

 

広がらない世界。終わりのない生活。立場を挽回できるチャンスはあるのだろうか。空虚な目つきの谷底の猿も、何かに怯えながら身を寄せ合う猿山の猿も。這い上がれない諦めと、いつ転がり落ちるかわからない恐怖に満ちていた。

 

振り返ると、頂上付近で交尾をする猿が目についた。なんとなくバツの悪い気持ちになって顔を戻す。喋る気は失せていた。

 

産後うつのようで、年明けから折に触れて離婚したいと口にするようになった姉と、猿山の谷に共感を覚える母と、空虚な私。人間の生活というのも、なかなかに体毛を毟られるような歩みであることには違いない。

近所の汁無し

ランチタイムを外して、会社から徒歩2分のラーメン屋に入る。客と店員が同じ人数である。メニューに一通り目を通し、やはり汁無し担々麺を注文した。汁無し1つ、という店員の声が響く。

間も無く、店員が目の前に皿を置いた。無心で混ぜるとパクチーや山椒、黒い味噌がすぐに絡み合った。口に含むと、記憶していたよりもずっと美味しい。作る人によって、それほど変わるものなのだろうか?などと考えていた。

店員の一人が、3番入ります、と口にしながら私の側に位置するトイレに消えた。客と店員の人数が等しい。トイレの扉の奥からはさきほど私が閉じた便座を持ち上げる音や細長い水が勢い良く注がれる音が聞こえた。

一方、私は麺を啜っていた。次第に、なぜ私は麺を啜っているのかという疑問や戸惑いの気持ちが強くなった。私は目の前の麺をきちんと食べられているのか、食べているのか、食べている行為が希薄に思えた。

トイレの扉が勢いよく開き、店員は厨房の奥に消えていった。トイレの扉は開かれた勢いのまま止まり、戻ることはなかった。視界の隅に便器の姿を感じながら、私は麺を啜った。店員らは、チャーシューの仕込み具合などを話していた。

最後の一口が流し込まれたとき、違和感が残った。最後の一口までずっと美味しい。それは、前回の食後とは異なる感想で、前回はパクチーと山椒の香りが口内に強めに残り、注文したことをうっすら後悔したほどだった。

3分の1はただ美味しく、次の3分の1はそれまでの美味しさを後追いし、最後の3分の1はクロージング。今回の分析結果である。次はおそらく、もっと美味しく感じるようになっているかもしれない。こうして人は常連になっていくのだろう。2ヶ月に1度汁無し担々麺を啜る女を記憶する店員には思えないので安心だ。

車道を走る車が反射した西日がトイレに吸い込まれていく様子を視界の隅に見ながら、空のお椀にこべりついた辛味噌を眺めて、仕事に戻った。

地獄の乙女 〜女子中学生編〜

かれこれ1週間ほど、坂口健太郎のあの恐ろしくモテそうな様子について考えている。彼のストーカーになりたくなるほど恋心をこじらせてしまった女子がこの世界にいるんじゃないか?と。しかしそれは、まさに学生時代の自分だった。当時のことを文字にしてみる。

 

ずっと憧れていた先輩がいた。小・中・高校生、しかも大学生になってまで、10年以上も憧れ続けた先輩。その理由は、まず見た目が大きい。顔の造形がどストライクだった。

先輩はNARUTOという漫画に出てくるサスケというキャラクターに見た目がそっくりだった。そっけない態度、身体能力の高さ、何をやらせても平均点がずば抜けて高い、という点まで共通している。NARUTOを初めて読んだ中学生のときに「サスケはあの先輩そのものだ」と確信した。

先輩は、一学年上だ。野球部に所属しており、さらに一学年上にいた私の兄やその他の年上部員を軽々と凌駕する身体能力の高さでレギュラーを獲得した。シビアなスポーツの世界で死屍累々の上に君臨する先輩に憧れることを止められなかった。当時バスケ部に所属していた私は、ランニングの度に先輩の姿を探したものだった。

中学校の体育祭、リレーのアンカーで2位のチームを大きく引き離し、両手を突き上げてゴールテープを切った先輩の姿を今でも覚えている。

 

きっかけは、先輩たちの卒業が数週間後に迫る頃。新しく始まる高校生活に向け、多くの先輩たちが携帯電話を手にし始めた。間も無く訪れる中学校生活との決別に備えて、連絡先を交換していた。それは、たとえば部活の後輩にも及んでいた。

野球部に所属していた同級生の男子が「あの先輩とアドレスを交換した」という情報を耳にした。私はすぐ、先輩の連絡先が知りたいとその男子に詰め寄った。同級生が先輩に確認を取ると、アドレスを教えても良いとの許可があった。こうして私は先輩のメールアドレスを手にした。「先輩に近づけるかもしれない…!」バラ色の生活が始まるかと思われた。しかし、私には大きな懸念もあった。

 

当時の私は、肩にかかる程度のストレートヘアをサラサラとなびかせるといういかにも女子中学生らしいヘアスタイルをしていた。しかし、先輩のアドレスを手にするちょうど数日前、髪が大幅に散った。地方のリーズナブルな美容室に、ヘアスタイル雑誌の切り抜きを再現できる人材はなかなかいない。そういう現実をいまいち理解できていないのが中学生というものだ。つまり、散髪で大失敗していた。

私は、同級生から久本雅美とからかわれるほどのベリーショートになっていた。中学2年という自意識が最も高まる頃に、頬骨や顎のラインを隠せる髪の毛がないことは死活問題だった。モンチッチのようで可愛い、と自分を励ますので精一杯だった。

 

さすがに先輩の目にその姿を晒すわけにはいかない。絶望的な状況ではあったが、受験が終わった先輩らは学校に来る日数が少なく、登校したとしても過ごす時間も短かったため、顔をあわせることはなかった。先輩が高校生活に慣れる頃には、私の髪の毛も少しは人間に近づいているはず。それまではメールで先輩と距離を縮められれば良い。そんな戦略を立てていた。

 

そうして始まった先輩とのメールの第1通。

 

「最近髪の毛切ったよね。いいんじゃない?」

 

先輩の先制パンチ、女子中学生私、クリティカルヒット。見事に大爆発した。その後10年以上にわたる暴走スイッチが入ったのは完全にこの瞬間といえる。
余談だが、この喜びは女子高生になっても色褪せず、“オリジナルの詩を作って各自が発表する”というある授業で「みんなに馬鹿にされたこの髪型も 先輩が褒めてくれたから大成功になりました」という詩に読み上げ、教室をざわつかせた。それくらい舞い上がる出来事だった。女子中学生の私は光の速さで返信をした。

 

「えっ。短くなりすぎてみんなにからかわれて落ち込んでいたんです>_<。でも先輩に褒めてもらえて嬉しい…!好きです。付き合ってください。」

 

「いいよ」

 

あまりの舞い上がりっぷりに思わず告白してしまった自分と、先輩からのまさかのOK。幸せの絶頂。

 

先輩とのお付き合いが始まった。何でもないような質問に、先輩が答えてくれる。このメール画面の向こうには、同じくメール画面を覗く先輩がいる。そのように考えると眩暈がするような高鳴りを覚えた。先輩のメールを何度も何度も見返しては、反芻した。先輩に、電話もしたいです、と素直な気持ちを伝えてみた。先輩は、電話は苦手だから無理、別れよう、とのことだった。4日で振られた。諦めきれず、返事の来ないメールを送る日々をしばらく続け、やがて閉じた。

 

今考えれば、こんな振り方をしてくる奴はクズ野郎だ。しかし、まさかその先10年も、折りにふれては先輩に振り回されて暴走機関車と化すなどとは、女子中学生の私には思いもよらない。

 

しかし、地獄の乙女は世にもたらされた。

 

                                               <つづく>