ついつい店内を覗いてしまうタバコ屋がある。会社の帰り道にあるその店は、出来て1年も立たない、一軒家をリノベーションして作られたタバコ屋だ。
タバコへの当たりが厳しいこのご時世に、よくも新規オープンしたものだ。
外壁に塗られた深緑のペンキとカタチの良い窓ガラスは落ち着きがあり上品で、パッと見ではタバコ屋に見えない。書きながら気付いたが、そういえば、タバコが置かれているのを見たことがない。
奇妙なタバコ屋であることを本能的に嗅ぎ取ってきたのか、職場の帰り道で店先を通りすぎる度に、横目でチラッと一瞬、覗いてきた。
私は電車の車窓に流れる民家などを見て、干された洗濯物から家族構成や人柄といった細部を想像するほど、他人の家や生活に関心がある。
私という思想体を残したまま他人に気付かれずに脳みそに寄生し、あらゆる人の人生や感情を覗いて生きたいという願望がある。
念を押しておきたいのは、もし本人に気付かれたらと思うと怖いため、決してジロジロと見ることはできないパーソナリティを持っている点。
だからこそ、たとえば車窓から見える洗濯物であったり、足を止めることはない歩みの中のチラ見だったり、一瞬で得た情報から家主の人生や生活を雄大に想像することが使命となる。
かのタバコ屋もそのようにして私に覗かれ、様々な想像妄想に晒されてきたのだが、つい最近はじめて家主を見かけた。
奥田民生をさらにボロにしたような煤けたアラフォー男性という風貌だった。一瞬のチラ見にも関わらず目が合ってしまい、つらかった。
その後もとくに変わりなくチラ見してきたのだが、なぜか最近、タバコ屋が目まぐるしく変化しているのだ!
一昨日は、動物の餌入れが置かれていた。しかも、それなりに使われてきたような入れ物で、餌はほどほどに減っており、それなりに家に慣れている様子が感じられた。器のサイズから猫か小型犬だと思われるのだが、あのタバコ屋で動物の影を見たことがない。
昨日は、古いパチンコ屋のカウンター横にでも置かれていそうな、ガラスの冷蔵庫が置かれていた。中身は空だが、これから飲み物をそれなりに置いきたいという心意気を感じ、なんとなく不審に思った。
いよいよ、今日。なんと、タバコ屋の入り口に「無料立ち寄り所」的な言葉が追加されていた! ここ最近の精力的な変化はこのためだったのかと納得しているのだが、店主さえほとんど見かけないタバコ屋を覗く楽しみがなくなる失望感があった。
タバコが見あたらないタバコ屋の入り口からは、7畳ほどの広さに小さなテーブルと椅子1脚、キッチン、ロードバイクが見える。誰にも咎められずに、一瞬だけ他人の生活を覗ける、万華鏡を覗き込むような煌びやかさがあった。
しかし、こうやってここに書き記しているうちに、今度はそこに集う人物を時々目撃できる可能性もあることがわかった。
あのような謎の多い店に集う人物というのは、さぞ変わり者に違いない。
覗くたびに新しい発見のあるタバコ屋に日々店内を覗かされているが、今後も覗かされる日々が続きそうだ。