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自分が「世界の主人公ではない」と気づいた瞬間の話

この世に生をウケてから、4月で29年。

今回は自我が芽生えた瞬間についてまとめてみました。

 

唐突ですが、人様に向かって「あなたの人生の主人公は私だよね?」と質問したことがありますか?

私はあります。それは、保育園の「年中さん」頃の話。

 

子供のころから悪ガキで、3歳ですでに暴君と呼ばれていました。

とにかく気が強く、気に入らないことは全身全霊で表現せずにいられません。お友達とのいざこざでは、相手が折れない限り、男女問わずに取っ組み合いや齧り合いのケンカに発展することも。

 

一方で、昔から誰かと群れるということに興味がなく、集団での仲間はずれなんてことはしません。あくまで、自分が気に入るか、気に入らないか。嫌なときはお友達に面と向かって文句を言う、そのようなケンカ・スタイルでした。

 

我が強く、負けず嫌い。5歳くらいまで誕生日という概念が理解できずに、保育園の先生から「お誕生日は?」と聞かれたときに「e?」と思っていました。周りのお友達が「6月だよ!」「私は10月~!」なんて答えられるのを見て「え?なんでみんな普通に答えられるの?誕生日って何?知らないの私だけ?やばくない?」などと自分だけが質問の意味を理解できないことに激しい憤りを感じたものです。

 

そんな負けず嫌いの一面があるためか、もめ事が起きる心配のないおっとりした子や穏やかな子と一緒にいることを好んでいました。初恋は、学年でも最も小柄で、全然おしゃべりをしない、非常におとなしい男の子。「なんでこの子はお話をしないのかな?ミステリアスかな?」などと好奇心と好意を寄せていたように思います。

 

乱暴さとやさしさ?を兼ね備え、我が強くて負けず嫌いな、誕生日という概念が理解できない5歳の私。ある日ふと、保育園の何でもない時間に、目の前に座っていた男の子を見て思います。

「この、目の前で動いている○○君という存在はなんだ?」と。

 

そうして、自分が急激に抱いたその疑問を解決するための質問が、前述の質問でした。

 

「○○君の人生の主人公は私だよね?」

 

 

私にそのような質問をされた男の子は、私がたずねた質問の意味が分からずに、困惑していました。しかし、私は「目の前の男の子が困惑している」ということ自体に衝撃を受けていました。「彼の人生の主人公は私である」という感覚を私はありありと感じているのに、なぜ彼は私の簡単な問いかけにすぐさま「Yes」と答えられないのだろうか?

 

私の質問に対して、目の前の男の子が困惑していることへの困惑。私がこれほどにあなたも私だと感じているのに、目の前の彼が迷いなく「僕の人生の主人公は君だ」と言い切ってくれないのはどういうことなのか。私とは考えが一緒じゃないということは、どういうことなのだろう。彼は私ではないということなのだろうか・・・?

彼をはじめとした「自分の目に映る人たちは、どうやら私ではないらしい」ということを感じさせられた、私の中に他人が初めて誕生した瞬間でした。

 

そうして、私は他人という存在を初めて自覚したと同時に、自分はとんでもないモンスターだということを自覚していったように思います。その後、20数年の間モンスターとして生きていくのですが、それは他の話の端々に現れているかもしれません。