今日も仕事。食べるのも仕事。[29歳OLのリアル飯。7皿目]

上司と複数の立場が絡む仕事の進め方について話し合っていると、話をわかりやすくするためか、なぜか仕事を虫に例えて話を始めた。体裁が悪い。虫に例えるのはやめた方がいいと私は思ったが言えず、苦笑いをして場を濁す。それでも、とくに滞ることなく自然と結論は出た。先日、自分の育ちについてコンプレックスを感じた場面があったが、そんな必要はなかったとなんとなく気が楽になった。
 

会社から駅までの帰り道、先にトボトボと歩いていた飲み会帰りと思しきサラリーマンをじわりと抜かすと、随分と話す人だったなぁと誰かに聞かせたそうな独り言が斜め後ろから聴こえた。一瞬浮かんだ疑問もそのまま置いて去った。

 
いつものようにゆらゆらと人の波をくぐり抜け、電車を乗り継ぎ、ゆらゆら揺られ最寄駅に降りる。少し先に声を荒げている中年サラリーマンを見つけて、思わず急ぐ。
 
中年サラリーマンが、同じく中年サラリーマンを叱りつけていた。叱りつけられたサラリーマンは謝罪していたが、怒る中年サラリーマンが去り際に放った、バカが、という言葉にカチンときたらしく、それはさすがに私に失礼でしょう、と訂正を求めて食い下がった。2人はそのまま口論をしながら同じ歩幅で階段を降りた。声の大きさは適正なボリュームに戻っており、端から見れば仲の良い同僚のように見えた。
 
どちらも怒りすぎず、また、さっさと会話を止めて一刻も早く相手から離れたいという様子でもなく、ついさっきまで一緒に居酒屋にいたと言われても違和感のない中年サラリーマン2人組になっていた。
 
展開が気になったが、目線だけ2人の後ろ姿を追って、私は自分の帰路に足を進めた。
 
これから先、電車内での誰かの行動を叱りつけたくなるほど私も怒るようになるのか。怒りを我慢できなくなるほど、私の中に何かが蓄積するのだろうか。
 
映画「ファッションが教えてくれること」に登場するファッション雑誌ヴォーグの編集長、アナ・ウィンターが話していたことがふと思い出された。彼女の父親はまた、ある有名な媒体の編集長をしていたが、ある日急に引退をした。理由は、怒りを我慢できなくなったから。
そして彼女も、いつか怒りが我慢できなくなったときに自分も引退をするのだろうと付け足した。
 
私は幼少期のほうが今よりもずっと、身体に怒りが煮えたぎり、抑えられず、持て余してきた。でも、抑えらないほどの怒りが出現することはほとんどなくなった。もし仕事に大きな功績をもたらすのは途方もなく湧き出る怒りだとすれば、それを持ち続けられることをうらやましくすら思う。
 
それでも、私は今夜、カレーが食べたい。想像したカレーを再現し、そのカレーでお腹が満ちる、幸せ。

 
ごちそうさまでした。
 
[今日の材料]
新玉ねぎ 1/4
トマトソース
にんじん
レタス
アボカド
味噌汁
 
(調味料)
オリーブオイル
ごま
カレールー