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三味線を弾いてきました。

両親が日本の南方にある島出身で、私たち子供は本土で生まれ育ったけれど、島唄の歌い回しや三味線の音がやけに心に響くので血筋を感じ、島唄教室に通っています。

三味線はまだまだ下手くそで、それゆえに練習もほどほどです。そうすると結局、メインの練習は唄のほうになります。
 
物も娯楽もない時代からずっと、仕事の合間に、お祭りごとに、生活のすぐそばで歌われ、耳の奥底に馴染み、伝承されてきた音楽。歌詞も、歌われ方も、その小さな島の中でも、全然違う。そんな島唄を美しく、愛しく思う反面、すぐ歌いこなすことができない難しさに、もどかしくも感じています。
でもよく考えたら、人間の長い歴史で、近代のようにすぐ覚えられる音楽を歌う文化のほうが特殊なのかもしれません。こんなに、曲を聴くことも歌うことも簡単にできるようになったのに、それゆえに歌や音楽が与える影響力も結束も弱まってしまっているように思えてなりません。
 
などと屁理屈をこねて現代音楽に問題提起をし、相対的に島唄の価値が高いかのように、さらに島唄愛までアピールしようとしても、私が寝坊で1時間遅刻したという事実は変わりません。自分の責任逃れのために、もっと大きな問題を引っ張り出すのは、あまり良い方法とはいえないですね。まるで政治家です。
 
移動中に開いた村上春樹風の歌を聴け」の中で、とてもグッときた箇所がありました。派手でも地味でもなく、それなりに友達とつるんで遊ぶ、成人した“僕”が、かつては全然しゃべらずにカウンセリングに通っていた思春期の頃の話。両親の心配をよそにある日突然、堰を切ったようにおしゃべりし、3ヶ月間しゃべり続け、ある日高熱を出して3日間休み、それ以降はおしゃべりでも寡黙でもなくなった。その話を読んで、ひどく懐かしい気持ちになりました。
 
 
大学生の頃、ゼミの同期に、鋼鉄の自己肯定感を武器にマシンガントークを浴びせてくる女性がいました。その自信に満ちたおしゃべりに私はいつも腐った心を混乱させられ、怒りを感じました。平穏や穏便いう言葉を知らなかった当時の私は、深く酒を飲んではよく、全力で彼女の人格否定を試みました。大抵は暖簾に腕押し、同じ日本人でもこんなにも通じ合えないのだという絶望感で幕は閉じます。
共通の友人から後日、少し落ち込んだらしいよ、という話を耳にすると、彼女の鋼鉄の思想に一石を投じるところができたのだと、少し安心しました。
 
そんな彼女はかつて、両親が病気を疑うほど、幼少期に言葉を発さなかったそう。しかし、3歳になったある日、それまでが嘘だったかのようにおしゃべりを始め、そういう呪いをかけられたかのように、私と出会う15年間もしゃべり続け続けてきたのでした。
 
幾度とない言葉のぶつかり合いの末、私と彼女は仲良くなっていました。お互いのダメさや良さが混ざり合って、ちょうど良くなったのだと思います。彼女とは、卒業までいろいろな話をし、いろいろな感情を共有しました。
 
今では、彼女がどこで誰とおしゃべりをしているのかも、わかりません。共通の知り合いから仕事はしているらしいことを聞きますが、メールもSNSも送ったまま、彼女は沈黙しています。大学の同期もみな同じ状態で、彼女の無事と幸せをそっと願う立場にいます。
いつか、堰を切ったように彼女がまた話し始める日が来るのだろうと私は思っています。あとは、家に帰ったらテレクラキャノンボールを観ながらビールが飲みたいとか、そういうことを考えています。