映画『あなた、その川を渡らないで』

人がごく自然に使う言葉のうち、なぜか私は皮肉や悪意を感じ取ってしまう言葉に「お似合い」がある。

この感覚は少しずつ蓄積されたようで心当たりが浮かばないが、私にとって皮肉や嫌味を口にするシーンの言葉として記録されてしまっている。

「お似合い」という言葉が使われるその奥には「所詮は、せいぜい」という悪意が多少入れられているように感じてしまう。

それでも、お似合いという言葉以外に相応しい言葉も見つけられない。

 

『あなた、その川を渡らないで』という韓国映画を観た。

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ある老夫婦の晩年を記録した、ドキュメンタリー映画。

韓国の山間部の田舎。98歳の男性と、89歳の女性が暮らしている。そこには日本のような四季が見て取れ、自然に身を任せて暮らすふたり。秋には落ち葉を、冬には雪を、夏には河原の水を、時に飼い犬の飲み水を、お互いにかけ合って、はしゃぐふたり。

こわいとき、退屈なとき、歌をせがむ妻と、必ず応じる夫。

ふたりが出かけるときには、そろいの韓服を着て、手をつないだ。どこの田舎とも変わらない緑と茶色の濃淡で彩られる景色に浮かぶ、そろいの華やかな韓服姿は、ふたりの命の存在感を象徴しているかのようだった。

 

あの夫婦が見つめ合うとき、寄り添うとき、語り合うとき、撫で合うとき、踊り会うとき。ふたりのすべての時間は物悲しく、美しく、愛しかった。

 

お似合いという言葉を人は自然に使うし、その文脈や口調から悪意を感じ取ったことは今までにない。

そして、お似合いという言葉について疑問に感じている人に出会ったこともない。だから私も、お似合いという言葉を、多くの人と同じ意味で使う。結局、他に相応しい単語が見つけられていない。

私はきっと「お似合い」という現象に誰よりも疑問を持ち、誰よりも強い羨望を持っているんだと思う。

自分と釣り合うお似合いの人と共に生きるいうことは、なんと忌々しくて、鬱陶しくて、妬ましい。