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生きものと気配

道を歩いているとき、野生のゴキブリを見かけることがある。

今年の夏はとくによく遭遇した。今夜で4度目。睨みながら慎重に距離を取る。三歩離れればあとは大抵忘れてしまう。外で見かける野生のゴキブリは愚鈍でのろまにさえ見える。かれらは屋内にいるときに、その存在感が最も発揮されるようだ。

床や壁、室内のどこであろうと、黒光りしたその姿を捉えた脳内は瞬時に異常事態と判断して警笛を鳴らす。彼らは室内ではとくに機敏に見え、脳内の司令塔はその俊敏な生き物に対処しようと画策する。その多くは上手くいかず、すり減った心身は彼らを異様な生き物と再認定し、一刻も早く忘れたいと思う。

しかし、室内でゴキブリと対峙したとき、すぐにその出来事を忘れることはできない。取り逃がした場合だけでなく、きちんと殺した場合でさえも、ゴキブリを1匹見かけたら30匹はいると言われるように、まだ家の中にいるかもしれないゴキブリの影に怯えることになる。

それだけ、ゴキブリが室内にいるということは大変なことなのだ。だから、ゴキブリが室内に出た瞬間に人は絶望的な気分になる。目の前の1匹のその背後に、膨大な生き物の気配を読み取る。多くの場合、人は怯む。

その素早い黒々とした生き物が背中を光らせて目の前を横切ろうとした瞬間に、背中の羽からクシャッと握りつぶす別の生き物を見た。私のおばあちゃんだ。死骸をゴミ箱に捨て、それまでの時間に戻った。初めて見たときはまだ幼く、茫然とした。

 

当時、世の中にはどうにもならないことが多すぎるとひどく悩み、恨んでいた。貧乏が諸悪の根源と考え、貧乏を生み出す家庭環境を恨み、しかし子供の力ではどうすることもできずにいた。ボロい家に這い、巣食う虫たちの気配に怯える日々だった。その中にゴキブリもいた。

気持ち悪くて怖くて、きょうだいで身を寄せ合って怯えた。そのうちに姉が、ゴキブリを降臨させることができると豪語するようになった。何時にゴキブリを降臨させると宣言し、超音波のような謎の声を発した。兄と私は怯えながらも、姉にそのような特殊能力があるのかとワクワクした。失敗もあったが、成功のほうが多かった。降臨の儀式を行っても、どこから出てくるかまではわからない。たとえばブラウン管テレビの後ろから壁を駆け上がるゴキブリの姿を捉えては、恐怖と感嘆の入り混じった私達の叫びが家に響いた。

 

私達きょうだいが、恐怖のあまりにコントロールしようとすら試みたゴキブリという存在を、おばあちゃんは呼吸を乱すこともなく片手で握りつぶす。

脚を崩して座った姿勢を支える片手、そのもう片方の自由な手で流れるように掴み、殺した様子を見て質問をする気も起きなかった。

おばあちゃんを育てたあの島にはたくさんのゴキブリがいたのだろう

気持ち悪いなどと言ってられなかったのだろう

蚊を殺すように、ゴキブリも殺してきたのだろう

 

私は今、「作家の猫」という本に魅せられている。さまざまな猫を愛した作家たちの様子を記した文章に、私の懐かしい記憶が立ち上る。それは、素手でゴキブリを殺したおばあちゃんの姿だったり、虫の蠢くあのボロい借家だったり、そのボロ家に寄り付いてくれた野良猫らだったりする。