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母と怒り、ひやり。

夢から覚めるまで、わたしは冷蔵庫の置き場所から戸棚のレイアウトまで、とにかく何もかもに怒っていた。

 

家中のありとあらゆる物事について、母親を懇々と叱りつけた。それでいて、母の

 

「はあ。」

 

とか、

 

「そうね、ごめんなさいね。」

 

と言った気のない返事や態度、ときにまったく下らないと言わんばかりの軽薄な謝罪のいちいちに激昂した。

もはや、母親の何もかもが気に入らない。大きなゲンコツで母親を真上からペシャンコにしてやりたかった。そうできないかわりに、彼女の思想が行き届いた物や、彼女の思想が行き届いていない物を非難した。思想から無思想、すべてを踏み躙りたかった。

母の態度を見ては、ますますヒートアップするわたしに兄は困惑し、姉は発言のタイミングを見失っていた。

わたしの怒りは次から次に湧き上がり、いよいよ身体におさめておけなくなるぞと脳みその奥底で響いた警笛をたぐり寄せたかのように目が覚めた。

寝起きの気分は最悪だ。しかし、どこか納得もした。わたしはいまだに母親に激しい怒りを持ち続けていることを突きつけられた気分だった。

そしてその感情は“何の努力もなしに霧散することはない”と確信に近い、強い思いが湧いた。早く大人になりたいと駆け足をした幼いわたしが知らずに蓄積した、“寂しかった”“甘えたかった”という消化できない思いが身体の一部に影響するほど腐っているのかもしれない。

それでも、わたしはもう成人してしまっていた。年が明ければ、そう間も無く三十路だ。母親の愛情への飢えがあろうと、たとえば手首に刃物を当ててみたり、好きでもない不特定多数の人間と体の関係を持ったりといった、心の渇きが体への直接的な表現につながることはない。心の傷を体を使って表現することのデメリットがよく理解できてしまっている。年齢は、いつまでも傷ついた少女でいさせてくれない。

 

わたしはつい先日、母親の同窓会に同席した。母親のモテ期の真相を探りたかったからだ。

それは去年、母の還暦のお祝いに同窓会に向かう航空券をプレゼントしたことが発端となった。同窓会以降、母には2人の男性から手紙や電話が来るようになった。

「お母さん、やばい!モテ期が来てる!」

と家族で大爆笑した。男性の1人は、母にずっと片想いをしていた人。もう1人は、母がずっと片想いをしていた人。

わたしたち子供としては、どちらの男性でも良いから母と上手くいってほしい、母に第二の真っ当な人生を歩むきっかけとなってほしいと願っていた。隙あらば、わたしが橋渡し役になってもいい。そういうわけで、母の同窓会に同席した。

母にずっと片想いをしていたという男性が隣席をわたしに勧める。いかに長い間自分が片想いをしたかを彼は長く語った。古いアルバムを開くと、母が1人で写っている写真や、母が部活の女の子たちとともに写っている中学時代のモノクロ写真があった。

そんなことはわたしにもあった。修学旅行後、廊下に張り出された写真の購入番号を記すとき。好きな人が写っている写真をこっそりと買ったこと。今も昔も、先生たちにはバレバレだろう。

48年前の8年間の片想いを、片想い相手の娘に話す気分はどんな気分か?

悪くはなさそうに見えた。微笑ましかった。歳を重ねる中にも希望はあるように見えた。

幼い頃のわたしが成仏するように書いている。“ずっと寂しかった”と今、泣いて母に抱きつけば、少しは癒されるのだろうかと想像する。何を今更、という怒りが湧く。

だからなおさらに祈ってしまうのかもしれない。せめて幸せになって、あまり心配をかけないでくれよクソビッチ、と。思想と感情、怒りと愛情が泥々に混じりながら、心身が不揃いに成長したひとりの人間としてそう願わずにいられない。