年末年始につかみかかるの巻

年末頃から年始にかけてひどく体調が落ち込んだ。その間、大ヒット中の某アニメ映画に怒り心頭したり、ネットショッピングで詐欺にあったりした。

 

2016年は財布を2回落としたり(2回とも奇跡的に無傷で拾得された)、職場で心配されるほど体調不良が頻出したりと悪いことが目立つ1年だった。妖怪にでも取り憑かれたのではないかと思いあぐね、大晦日から三が日にかけて、2ちゃんねるまとめサイトで妖怪退治について読んでしまったほどだ。

 

焼きが回っているのである。

 

脳みそが漏れていると思うほど鼻水が出てくる。鼻かみティッシュのプールができている。5分に一回は鼻水を出さないと気持ちが悪くなってくるため、移動などは不便でしかたない。座席で控え目に鼻をかむと隣のおばさんがいそいそとマスクをつけ始めたりする。

 

いまだに味覚がない。無味無臭の中、わずかに立ち込める食材の香りを励みに栄養を取り込んでいる。

聴覚も鈍い。何もかもの音が、一枚の膜を隔てて伝わってくる。直接響いている気がしない。言葉などは脳みそにほとんど届かない。お気に入りの音楽が耳元でかろうじて励ましてくれる。言葉なんか無意味だ。革ジャンを着たギターサウンドが乱暴にわたしの肩に腕を回す。ありがとう、元気になったらまたライブに足を運ぶよ、と礼を言う。

 

彼らと肩を組みながら、夕暮れを眺めていた。わたしの住むマンションは丘の上にある。夕暮れ時はとくに最上階からの眺めが美しい。山に暮れる夕陽と、そこらじゅうに広がる人々の暮らしが一望できる。この灯りを作るたくさんの人々と全く関わりがない一生を生きるのだと思うと悲しくてたまらない。この目に見える範囲の人々でさえ多くは他人のままだ。生きることはなんと切ないことだろう!わたしが革ジャンを着たギターサウンドにそんな気持ちを打ち明けていると、別のところから声が聞こえてきた。悲しいなら終わりにしたらどうだろう?声のほうを見ると、それは5階下のコンクリートの囁きだった。鉄棒をするように手摺に脚をかけ、地面に向かって万歳をする。そのまま落ちていくことを想像する。痛い。体が重いせいで痛いのだ。考えるだけでうんざりする。トイレットペーパーのように軽薄に、木綿のハンカチのように美しく風に舞って人々の暮らしの瞬間に触れられるならまだしも、重たい体のせいで風に運んでもらうこともできず、垂直に落下して痛い思いをするなんて実に馬鹿馬鹿しい。そんなことは労力に見合っていない、と一蹴した。

 

お腹が減っていた。家には大根と白菜とネギと鶏肉をトロトロに煮込んだ鍋が作ってある。そこに生姜をたっぷりと混ぜたいと思った。唐辛子も少し入れたい。多分、味はまだしない。でもきっとトロッとした良い食感がして、ときどき美味しい味がする瞬間もあるに違いない。

想像すると早く部屋に帰りたくなる。風に乗って姿を消そうとする憂鬱の尾をつかみ、マンションの手摺に2、3度打ち付けそっと手を離すと、北風に煽られたかのようにいそいそと去ってしまった。