結局全てが嫌になった時は難しく考え出した時

つねづね、難しく考え過ぎるきらいがある。それは仕事のときに顕著に自覚される。解決不可能な気がしてくるのだ。あれこれ考えた末、この大問題はやはりわたしには難し過ぎると結論した場合に、先輩や上司に相談してきた。

 

ここ数ヶ月はまた、とくに難しく考え尽くした。「どん詰まり」という張り紙が常に額に貼られている気分だった。そしてとうとう今月、そっと逃げ出したくなった。けれど、「ガキじゃあるまいし」…。

 

今までの人生のように、そっとどころではない逃げをかます前に、上司にSOSを出した。上司や先輩らの力を借りながら、絡まった事象の答えを探す。

難しかったことの一つは、おそらくどちらでもあるのだが、わたしが難しく考えたことで難しくなってしまったのか、最初から難しかったのか、よくわからなくなっていた。

 

次に難しかったことの一つは今日、意外なほどするりと良い仕事に納まった。こちらは難しく考えていた分、カタチになったときにはシンプルながらとても深みのある落としどころとなった。「高ければ高い壁の方が、登った時気持ちいいもんな」。

 

あのモヤモヤも、絶望も、全てはこの瞬間でチャラになってしまった。あまりのスッキリ爽快さにニヤニヤが治らない。この気持ち良さを味わうために、思い詰めてしまうのかもしれない。

難しく考え出す時、頭の中でミスチルの桜井が唄い出す。わたしだって、愛されたいと泣いてるんだよ。でも、自分に期待することをやめられない。もっと大きなはずの自分を探してしまう。終わりなき旅が過ぎる。