近所の串揚げ屋の話

10月中旬のとある金曜日、住宅地に混じってポツポツと赤提灯が灯る寂れた商店街を帰っていると、串揚げ屋ができていた。

 

怪しい建物の2階にあるらしい、「なかよし食堂」といった類の不穏な店名。

 

原稿作成ソフト・一太郎を使ったかのように手作り感溢れるチラシには、楽しそうに踊る動物のイラストに混ざって「串揚げ屋オール100円」の文字。

 

うっかり釣られて階段を登ると、禿げ隠しのために被っていそうな帽子のマスターと、人懐っこく笑う陽気な年配男性がカウンター越しに会話をしていた。というよりも、年配男性だけがやたらと楽しそうにマスターに話しかけていた。

 

奥のテーブルに腰をかけてメニューからビールを選ぶと、暇だからという理由で、特別にビールを提供してくれた。

 

マスターが1人でお店を回すので、飲み物は基本的にキャッシュオンかつセルフサービスらしい。

 

ビールで一息つくと、居抜きの新店が“いかに前の店舗のままで開店されたのか”がよくわかった。縦長な間取りの店内中央には数人ほど座れるカウンターテーブルがあり、逆側の壁を這うようにソファが備え付けられている。元のお店はスナックだったようだ。そのため、串揚げ屋にしては、テーブルが低すぎ、ソファは沈み過ぎ、おまけに床は一面紅色のカーペットだった。

 

内装にまったく感心がないに違いない。それはそれで面白いなあとは思うものの、どこか居心地の悪さも感じていると、原因は音響設備が皆無だったことに気付いた。

 

陽気な年配男性が楽しそうに話さない限り、ほぼ無音。

 

完成に向かう串揚げがクツクツと静かに鳴っている。

 

しかし、それが不思議と嫌でもない。そして、陽気な年配男性に話しかけられるマスターの返事が、とにかく短い。はい、とか、そうですか、程度で、愛想笑いすらしない。話す気がないか、興味がないかのどちらかと心配に思えるほど返事は短いが、不思議と突き放す意図も感じない。ただただ、気の利いたコミュニケーションを行う術を身につけていないようだった。仕事がないからこの店を始めたとマスターがこぼした言葉がやけにリアルだった。

 

よく見ると、カウンター横には、異様にデカイ、新品のテレビが置かれていた。これがいつか使われるようになるなら、無音な店内は回避できるだろうが、今度は異様にデカイテレビが浮くのではないだろうか。

 

店内が無音であることも、マスターの気の無い返事も、全く意に介さない陽気な年配男性は、近所の居酒屋からの回し者であったことを陽気に宣言しながら会計を済ませていた。

 

マスターは、年配男性の正体を聞かされても、特に気に留めていないようだった。何一つテンションが変わらない接客だった。

 

贈り物のテレビには、マスターが仲間内で呼ばれているらしい、南国をイメージさせるような単語が宛名に使用されていた。このマスターは仲間内では陽気なキャラクターなのかもしれない、とそのときに読み取れたのは、その程度だった。

 

まさかその後に、マスターが既婚者であることが判明したり、店名を使ったTwitterアカウントで政治への憤怒や推し政治家の呟きをリツイートしてばかりで店の営業情報を全く呟いていなかったり、推し政治家の選挙時期にはお店を閉店していたりと、仕事がないから串揚げ屋をオープンしたと言ったわりにはまったく仕事をしていないのだった。