街と猫

今住む街でとくに気に入ってたのは、小綺麗な野良猫が多いところ。

 

彼らの生活と自分の生活が時々噛み合う瞬間が、ささやかな楽しみだ。

 

最寄り駅から自宅までの道中、猫の集会に出くわす時がある。スラッとした脚を伸ばして、それぞれが毛繕いに励む様子は、まるで貴族だ。

 

猫目を憚ることなく、見入ってしまう。彼らは、一瞥をくれることもなく、「やめておけよ」と後頭部で語る。

 

人生の大半を休息して生きる彼らは、その場所を選ぶセンスも長けている。

 

駐輪場の側にある、ほんの小さな公園に設置された、水飲み場。人が体を少し屈めて水を飲む場所のヘコみに、猫が収まっている。猫が液体と揶揄される理由がわかる。

 

猫の収まりの良さについ見入ると、向こうも暗闇からこちらを見据えている。猫を覗くとき、猫もまたこちらを覗いているのだ。

 

こうした観察を通して、猫の休息所の勘所が磨かれる。帰宅までに、数匹の猫を見つけられるようになった。

 

彼らのお気に入りの休息所で、私もとくに気に入ってる二箇所。

 

一つは、夜の学校の玄関前。夜の学校というのが、まずセンスが良い。日中、たくさんの生徒たちに踏まれた玄関マットが、夜は数匹の猫の憩いの場。昼と夜、静と動の優しい対比。

 

猫の休息所でつぎに気に入っているのが、河川敷にある小さな公園のベンチだ。これは、ランニングコースの途中にある。

 

ベンチでくつろぐ数匹の野良猫を初めて目撃したとき、丸々と太った様子に、驚いた。地域猫として大切にされていることは一目でわかったが、その後、実際に餌やりのシーンも目撃した。

 

そして、おそらく、すべての猫が去勢済みだ。みな成猫で中年の貫禄、季節がいくつか過ぎても子猫が増えることはなかった。

 

ある低い木の下には、猫がいつも居る場所があった。そこを通るたびに、よほどお気に入りなのだろうと解釈していた。(数ヶ月後、ただの空目だったことに気づいた)

 

猫は土手の草むらに紛れていることも多いのだが、時々、堂々と道に座り込んでいることもある。

 

ある夕暮れに、階段にたむろする猫たちを見かけた。そのヤンキー集団がくつろぐ階段を、自転車に跨る一人のおじさんが、ものすごいスピードで降りていく。

 

すると、猫たちは途端に飼い猫の風貌となり、男性をどこまでも追いかけて行った。

猫も犬のような動きをするようだ。いいね、いいね。彼らを見送りながら、私も自分の道を走った。さようなら。