ポケモンGO

先輩2人とともに客先に訪問した帰り道、会社方面に向かうバスの座席に腰をかけるとすぐ、2人はiPhoneの操作を始めた。

仕事のメールチェックかと思い押し黙ると、やがて2人はポケモンGOについて会話を始めた。iPhoneを確認し続ける理由はゲームだった。

確かに今日の客先で、ラプラスを捕まえにお台場に行ったと担当者が口にした際、僕も捕まえに行きましたと食い気味に話していたけれど。

 

ポケモンGOへの情熱をすっかり無くした私は先輩2人の現在のレベルを聞き、少なくても10レベルは差が開いていることを自己申告しつつ、継続できるモチベーションについて聞いた。

 

2人とも、完全なるコレクター魂で続けているらしい。先輩の1人がポケモン図鑑を見せてくれた。図鑑の前半、載っていないポケモンは皆無だった。

後半になるとポツポツと図鑑に穴が見られた。その中に1つだけあった、黒い影のみが表示されている箇所について質問すると、捕まえ損ねたポケモンは図鑑にそのシルエットの影だけが表示されるとのこと。

ラプラスだった。お台場まで行ったものの、捕まえられなかったらしい。他人の動きを頼りに、できる限りの場所を回ったが、捕り逃したのだとか。

先週末、久々に雨があがって快晴の中、iPhone片手にお台場まで赴き、何も捕まえられなかった38歳男性の姿が浮かぶ。

 

ラプラスの話をしながら先輩はときどきスマホの画面に視線を落とし、指をくねらせた。画面の中の先輩はイーブイを捕まえようとしていた。

 

イーブイは、捕まえるときに最も心ときめくポケモンのひとつだ。まあるい瞳、ふっくらとしたボディ。やわらかなジャンプ。そよぐ毛並み。威嚇したときの目つき。すべてが愛くるしい。絶対に逃したくないポケモンだ。

 

先輩は週末にお台場で逃したラプラスの話をしながら、片手間でイーブイを捕まえようとしていた。モンスターボールを投げる前にボールを回転させると捕まえやすくなる、という小技も慣れたもの。その手つきは事務的だった。

 

「先輩にとって、イーブイを捕まえることは作業ですか。」

 

思わず聞いてしまう。

 

「まあね。」

 

先輩は当然とばかりに答えた。もう1人の先輩は私の目も見ずに「そうそう」と後押しした。

 

「なんでですか?イーブイ、こんなに可愛いのに。捕まえたら嬉しくないですか。」

 

私は食いさがる。

 

「俺ら、そういうふうに見てないから。」

「ぶっちゃけ、『アメ』としか思ってないし。」

「ただの1匹。」

「経験値上がるし。」

「名前とかもどうでもいい。」

「ネズミが出たとか、カニが出たとか、そんな感じ。」

 

私は言葉を失った。確かに、コラッタもクラブもありがたいと思ったことはない。むしろ、クラブなどは気持ち悪いとすら思っていた。それにしても、名前くらいは認識している。

 

先輩の1人が、ポケモン図鑑ピカチュウを見せる。後ろ姿のピカチュウが、鍵シッポを揺らしながら雷を落とした。その猛々しい様子と似合わない後ろ姿が、なんとも愛くるしい。

 

ピカチュウの姿を見て、カワイイとか? ないわ〜。」

 

かつてポケモンを始めたばかりの頃、最初に出現するゼニガメフシギダネヒトカゲを3回無視するとピカチュウが出てくると得意そうに教えてくれた先輩。あのときのピュアな気持ちはどこに行ってしまったのか。

 

経験値が上がる

アメとしか思っていない

名前とかもどうでもいい

 

かつてポケモンマスターを目指したこともあった私は、わからなくもないと頭の半分で理解しながらも、

この男どもは絶対に許せないと、もう半分の女の感情が思う

世界最小、祭り囃子

会社から駅までの道程でイケメンサラリーマン3人衆を食い気味に追い抜かした頃、小さな異変に気が付いた。

 

ほんのり荒い鼻呼吸。息を吸うときに毎回ピーと小さな音が聴こえるではないか。

 

意識を集中させて数回ほど呼吸を確かめると、これはしばらく鳴ると思った。ひさしく聴かなかったこの音。私は29年の間に何度この音を鳴らしただろう。幼い頃はこの音が可笑しくて、聴こえるたびに楽しい気持ちになったもの。何も感じなくなってから何年経つだろうか。

物思いに耽っても、私の心はかつてのように踊らない。

 

ピーィ

 

ピーィ

 

鼻笛だけが弱々しく儚い音を鳴らしている

 

ピーィ

 

ピーィ

 

 

そんなに鳴ったった何もしてあげられないよ。踊らないんだもの、心が。

 

ピーィ

 

ピーィ

 

カッ カッ

 

前を歩く大きな背中のリクルートスーツの女性が、パンプスで力強く私の鼻笛に太鼓を打つ

 

ピーィ

 

ピーィ

 

カッ カッ

 

ふんどし姿の力持ちが、二本のバチで威勢よく太鼓の縁を弾く

 

ピーィ

 

ピーィ

 

カッ カッ

 

ピーィ ピーィ カッカッ

ピーィ カッカッ  コッコッ

駅が近づくにつれ太鼓の種類は増えていく

 

遊びに夢中ですっかり暗くなった夏の夜、忙しなく回転する自転車に両足で体重を預けながら児童会館を横切った。

磨りガラスからは黄色い光と祭り囃子の練習音が漏れ、私は夕飯を目指して暗闇の中を突き進む。

生きものと気配

道を歩いているとき、野生のゴキブリを見かけることがある。

今年の夏はとくによく遭遇した。今夜で4度目。睨みながら慎重に距離を取る。三歩離れればあとは大抵忘れてしまう。外で見かける野生のゴキブリは愚鈍でのろまにさえ見える。かれらは屋内にいるときに、その存在感が最も発揮されるようだ。

床や壁、室内のどこであろうと、黒光りしたその姿を捉えた脳内は瞬時に異常事態と判断して警笛を鳴らす。彼らは室内ではとくに機敏に見え、脳内の司令塔はその俊敏な生き物に対処しようと画策する。その多くは上手くいかず、すり減った心身は彼らを異様な生き物と再認定し、一刻も早く忘れたいと思う。

しかし、室内でゴキブリと対峙したとき、すぐにその出来事を忘れることはできない。取り逃がした場合だけでなく、きちんと殺した場合でさえも、ゴキブリを1匹見かけたら30匹はいると言われるように、まだ家の中にいるかもしれないゴキブリの影に怯えることになる。

それだけ、ゴキブリが室内にいるということは大変なことなのだ。だから、ゴキブリが室内に出た瞬間に人は絶望的な気分になる。目の前の1匹のその背後に、膨大な生き物の気配を読み取る。多くの場合、人は怯む。

その素早い黒々とした生き物が背中を光らせて目の前を横切ろうとした瞬間に、背中の羽からクシャッと握りつぶす別の生き物を見た。私のおばあちゃんだ。死骸をゴミ箱に捨て、それまでの時間に戻った。初めて見たときはまだ幼く、茫然とした。

 

当時、世の中にはどうにもならないことが多すぎるとひどく悩み、恨んでいた。貧乏が諸悪の根源と考え、貧乏を生み出す家庭環境を恨み、しかし子供の力ではどうすることもできずにいた。ボロい家に這い、巣食う虫たちの気配に怯える日々だった。その中にゴキブリもいた。

気持ち悪くて怖くて、きょうだいで身を寄せ合って怯えた。そのうちに姉が、ゴキブリを降臨させることができると豪語するようになった。何時にゴキブリを降臨させると宣言し、超音波のような謎の声を発した。兄と私は怯えながらも、姉にそのような特殊能力があるのかとワクワクした。失敗もあったが、成功のほうが多かった。降臨の儀式を行っても、どこから出てくるかまではわからない。たとえばブラウン管テレビの後ろから壁を駆け上がるゴキブリの姿を捉えては、恐怖と感嘆の入り混じった私達の叫びが家に響いた。

 

私達きょうだいが、恐怖のあまりにコントロールしようとすら試みたゴキブリという存在を、おばあちゃんは呼吸を乱すこともなく片手で握りつぶす。

脚を崩して座った姿勢を支える片手、そのもう片方の自由な手で流れるように掴み、殺した様子を見て質問をする気も起きなかった。

おばあちゃんを育てたあの島にはたくさんのゴキブリがいたのだろう

気持ち悪いなどと言ってられなかったのだろう

蚊を殺すように、ゴキブリも殺してきたのだろう

 

私は今、「作家の猫」という本に魅せられている。さまざまな猫を愛した作家たちの様子を記した文章に、私の懐かしい記憶が立ち上る。それは、素手でゴキブリを殺したおばあちゃんの姿だったり、虫の蠢くあのボロい借家だったり、そのボロ家に寄り付いてくれた野良猫らだったりする。

隔離された島

私達は許可なくその島から出てはいけない。

大半の人間が島から出ることなど考えもしなかったし、そのほうが幸せだったのかもしれない。小さな島の崖の際まで使って建てられた巨大な高校は要塞のようだった。

 

島を出たいと願った瞬間から、闘いは始まる。

 

木村カエラ北川景子。美しい女はとくに、囚われの身となり、建物の奥で幽閉されて慰みものにされた。 

誰にも囚われないわたしたちは、それでも不自由から逃れようと、島と外を繋ぐ無機質な橋を目指してハイウェイをひた走る。

逃亡失敗はほとんど死を意味した。追う者も追われる者も譲らず、分岐路で大きく引き裂かれた。互いに犠牲者が出た。わたしたちは逃亡に失敗した。

 

次に、大量の風船で島からの逃亡を図った。小さなベンチに仲間を1人乗せ、カラフルな風船を次々と括り付けた。

風船の影がわたしたちを覆い尽くす頃、小さなベンチは宙に浮いた。風船の影を見つけた追う者がわたしたちの邪魔に入り、互いに撲殺せんと混戦した。

その隙に彼女は飛んだ。が、無事に逃亡できたかまでは知らない。

 

 

 

みたいな夢を見た。暴力シーンがリアル。朝の5:50にこの夢から覚めて絶望し、内容をメモに起こし、また眠った。

 

 

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時に、バイク.

学生,とらわれた

島? バイクや

ふうせんで  仲間をころす

キムラカエラ 北川景子

お父さんがカブトムシになった話

ああ。いつの間にか秋の気配。

秋の夜長。郷愁。望郷。季節の変わり目は人を切ない気持ちにします。そんな人には、この話。

一瞬で消え去る夏に引かれた後ろ髪を毛根からぶち抜こう。

 

 

時代はバブルの後期。都市の再開発が盛んに行われた時分に東京近郊で配管会社を営んでいた父の会社が儲かっていないはずがなかった。

あと少しで弾けるバブルという時代の少し先を歩いてた私の父は、42歳という働き盛りにあたる年齢で脳卒中をし、左半身麻痺と言う後遺症を抱えて生きる運命となった。その後、父を追うように時代のバブルは弾け、時代もわたしたち家族も地獄へ落ちた。

 

 

クーラーなどあるはずもない我が家。開け放たれた家屋ではセミの節々がこすれる音が鼓膜のすぐそばまで迫った。母は仕事で不在、身体の半分もの割合をひきづって移動する父は台所にいた。夏休みでもすることがなく腹を空かせたきょうだい3人は、何かおやつはないかと父に詰め寄る。ゼリーでも食べたら、と言い放った父の目の前には、カブトムシが描かれたラベルの封を切ったゼリーの空箱が3つ、無造作に置かれていた。

 

兄の手で捕らえられ、玄関に置かれたプラスチックの籠で飼育されているカブトムシが食べているものと同じやつだ。

 

虫がうごめく音が聞こえる。じーわじーわとセミの声が脳に響く。見つめ合う親子の頬には汗がにじむ。

やぶかぶれ好奇心

未知なる人間と出会ったときの感覚というのは危機的でドラマチックだ。

襖の隙間から一部始終を覗かせてもらい。一方で、狂気に取り込まれないうちに退散したい。

 

今日は帰路の途中、空に声を発する妙齢の女性の姿。

 

「返してよ」

 

決して小さいとは言えない女性の声には怒気がうかがえた。

 

「返してよ」

 

少し間を置いてまた、ろ過されないままに女性の感情が吐き出された。

 

女性が改札に入り、不穏な行動とともにまた同じ台詞を吐く。私は思わず女性を追った。

 

「返してよ」

 

すぐに、女性の台詞はとある男性に向けられていることがわかった。

 

女性は始終同じ台詞を男性に向けて吐いていたが、男性は人波を縫って確実に距離を離していた。

彼女からあの台詞が発せられるたびに、男性の背中からは勘弁してくれという声が聞こえてくるようだった。

 

「返してよ」

 

多くの人に逆行して狭い通路の階段を駆け降りる男性の背中に、再度、女性がその台詞を浴びせる。

 

男性を追って女性も足早に階段を駆け降りる。と思われた瞬間に女性はくるりと向きを変えた。その足取りは改札を出る覚悟をした歩みであった。

 

思わぬタイミングで終わったストーリーを滑らかに終わらせるため、男性は階段を駆け降りる。

勘弁した。勘弁するんだ。そのような思いにしばし捉われた後、私にもいつもの帰り道が戻った

マジ大好きな先輩

私は職場に「マジ大好きな先輩」がいる。先輩はとってもチャーミングだ。私は今の職場で働くようになってすぐ、先輩のファンになった。先輩はとてもユニークで、何事にもまっすぐ、なによりも天然だ。社員全員で行った性格診断テストで多くの社員が「朗らか」的な総評だったのに対し、先輩はひとり「おこりんぼう」という評価をされてブチ切れていた。

私は一時期、先輩が何かユニークなことをするたびにこっそりとメモに記録していた。みんなで食事に行ったときや、先輩のファン仲間にこっそり報告しては先輩のユニークさを堪能した。先輩のユニークなエピソードは何度でも味わえた。

 

印刷畑の広告代理店のデザイナーという、やり直しがきかないプレッシャーの激しい業界で筋肉を鍛えてきた先輩は、デザイナーとして素晴らしいスキルとセンスを持っている。一方で、一部の社員からトイレ部長とも呼ばれていた。大小問わず、女性トイレで何かがあるたびに、女性社員だけのメッセージグループで率先して情報交換の機会を設けてくれた。

今度購入する消臭スプレーはどのような匂いが良いか、新しく置いた芳香剤の匂いがキツ過ぎないか、ひとりひとりに問いかけ、相談も受けつけてくれた。みんなから汲み上げたトイレの不安や心配事を先輩はひとりでとりまとめ、管理部に取り合って交渉をしてくれた。先輩の対応はいつもスマートで、過程も結果も完璧だった。先輩が先陣に立ってトイレ問題と対峙するとき、いつも絶対的な安心感があった。

私たちは自然と先輩をトイレ部長、おトイレ部長と呼ぶようになった。しかし先輩は次第に、トイレに関する連絡文書の末文に「※トイレ部長って言ったらもうおやつあげない」「※トイレ部長って言ったら怒る」などと注釈をつけるようになった。私たちは先輩へのお礼、何よりも敬意の気持ちを呼称で表明することができず、行き場のない気持ちを抱えなければいけなくなった。

先週末に有給を使った私が昨日、溜まったメールやメッセージをチェックしていると、女性社員だけのメッセージグループにまたポストされた、先輩からのトイレについての連絡事項が目に留まった。

「個室に芳香剤が導入されましたが、香りがけっこうきついので、気になる方は『中のろ紙を全開なのを下げる』などして下さい、だそうです。完全個室なので空気がこもりがち」。

このメッセージの末文にもやはり、トイレ部長と言うことを禁じる注釈が。

 

その連絡に対するほかメンバーの返信を見ると、みんなのお礼の言葉は遠慮がちだった。明らかに、トイレ部長と呼べない弊害が起きていた。しかし、週末をはさみ、タイムリーでもなんでもない話題に対して「トイレ部長、いつもありがとう」と返信するのはスマートじゃない。なにより、昨日は先輩が夏休みで休んでいた。先輩がいないときにトイレ部長へ、などとお礼を言うのはフェアじゃない。

私が休んだ先週末に先輩からポストされていた「トイレ、においきつすぎて台所まで漂っていたので、中のろ紙を最低限にしてきました…」「あれ、個室に1つじゃなくて、部屋に一つでいいよね」「いつのまにか個室に1つずつ配置されてたよ」というトイレの芳香剤に関する事細かなメッセージを眺める私は無力だった。

 

2営業日ぶりに先輩と再会した今日、先輩はやはり、あの「キツすぎる芳香剤」の結末について連絡をくれた。

 

「芳香剤を撤収したおかげで匂いは元に戻ったみたいですが、試しに最低限だけ開けたものを1つだけ、洗面台の下に置いてみました。もし今日1日で匂いがまたきつくなったら、管理部(1階)に返品しますので、くさいor平気を是非ご意見下さい。

 

※トイレ部長って言ったら怒る」

 

私はリアルタイムでこの事件に立ち会えたことに興奮してしまい、高ぶった気持ちのまま返信メッセージをポストした。

 

「先輩!安定の神対応。ウォシュレット・コンサルタント」 

「それ採用」

 

こうして私たちは今日から先輩を「ウォシュレット・コンサルタント」と呼べることになった。興奮が覚めず、今日のこの出来事を私は会社に1時間半残業して書き残している。