ドラマ『ウォーキングデッド』の弊害

世の中の人間は、ウォーキングデッドを見た人間と、見ていない人間の二種類に分けられる。

 

私は前者。

 

しかし、ウォーキングデッドというドラマとの距離感は、非常に難しい。

一度観始めると、立て続けに観たくなってしまうからだ。

 

翌日も朝から仕事に行くのに、夜更かししてまで続きを観てしまう。そんなのは初歩。

 

ウォーキングデッドを観る日々が続くと、人の脳みそをカチ割る夢が増える。ひたすら銃殺しながら、街を練り歩くようになる。最悪の気分で目覚める。

 

さらにウォーキングデッドの世界観に浸り続けると、抜けが悪くなる。

 

午後出社のために駅まで歩けば、どこへ行くでもなく散歩したり、公園で仲間と集ったりするお年寄りの姿をゾンビと見間違える。

 

それでもウォーキングデッドを見続ければ、限りなく登場人物の心境に近づいてくる。

 

どこからゾンビが現れるかわからないシーンにも関わらず、すぐ隣でドラマを一緒に観ている人物が、「腹が減った」だの、「トイレに行きたい」だのと危機感のない発言を繰り返すことが、我慢ならない。

 

この世界じゃ、ぬるい奴は生き抜けない!!

 

ゾンビだけでなく、自分たちを死に追いやるような危険な思想を持った人間たちが、そこらにゴロゴロ蠢いているのだから。油断できる暇など、ひと時もない。

 

ゾンビを殺せない、人間だけは殺せない。

 

そんなことを言ってた人間も、死ぬか、生き抜くために殺すか、どちらか一つしか選べない世界だ。

 

常に注意を払うべきこの世界で、お腹が減っただの、トイレに行きたいだのと人の注意を削ぐ人間は、いつ他人を危険に巻き込むかわからない、生かしておけない人間なのだ。殺意がメラメラと沸き立つ。

 

そう、私はウォーキングデッドを現実に見ている。

 

メンタルがやばい域まで来たので、今はリモコンをそっと閉じている。

一緒だったやつ

目覚めてから、通勤途中、仕事の合間、SNSの広告、帰り道、寝る前。

 

暇さえあれば、動物の写真や動画を見ている。それも、猫ばかり。ツイッター、インスタグラム、YouTubeから2ちゃんねると、収集方法に困ることはない。

 

とくに、素人が撮った猫動画が好きだ。飼い猫への愛が溢れた、猫の個性が切り取られたような動画は尊い

 

一方、字幕が入ったような動画はあざとくて、見ていられない。

猫は、人間がセリフの字幕を付けるまでもなく、それぞれがユニークな物語を生きている。

 

そもそも面白い生物に、テロップをわざわざ付けるという行為が、ナンセンス。そんなしょうもないことをする人間にセンスがあるはずもなく、テロップ入りの猫動画は大抵すべっていて、猫の面白さを殺す。

残念としか言いようがないが、そんなしょうもない人間とも同居を続ける猫は懐が深い。

 

時々、「猫の動画などずっと見て何が得られるのか」という心無い質問を受けるが、それは思い違いだ。

猫と関わることで、さまざまな発見がある。

 

私は元々、“顎ヒゲともみあげが繋がった男が好き”という趣味があった。そのようなヒゲの生え方は日本人には珍しいので、必然的に外国人に萌えていた。

 

先日、スキンヘッドにヒゲモジャの北欧系の男性が私の少し前を歩いていて、方向が一緒だったのでしばらく後をつけた。

 

頭はツルツルなのに、ヒゲがモジャモジャで、マジかわい〜!!

 

かなりキュンときていた。

そして、その感覚が猫動画を見ているときと同じだったことに気付く。猫も犬も男性も、顔まわりがモジャモジャした生物は可愛い。みんな違って、みんな良い。

私とスピッツ草野マサムネ

以前、好きなライターさんによる、草野マサムネの記事を読んだ。

スピッツ草野マサムネに学ぶ、気になる女子の口説きかた - BASEMENT-TIMES

 

読んでいて、そうだそうだと共感する部分と、痒いところに手が届かないようなじれったさがあった。

そう、人は誰でも、スピッツ草野マサムネについて語りたい気持ちを持っている。私にも、草野マサムネを語らせてほしい。

 

スピッツ草野マサムネは声が良い

草野マサムネと言えば、まず何よりも彼の持つ声の良さが挙げられる。

自由なのびやかさ、今にも消えてしまいそうな儚さ。

その繊細でピュアな声が、みずみずしいメロディに乗せて、力強く美しい歌詞を歌う。

草野マサムネという、まるで純朴で弱々しい青年が、心に強い信念を抱えているであろうことを、その声と歌詞のバランスから知ることができる。

 

草野マサムネの作る歌詞が良い

草野マサムネは一見、弱々しい男性だ。ところが歌詞を聞けば、彼がとても芯の強い人間であることがわかる。たとえば、8823という曲のサビの一節。

 

荒れ狂う波に揺られて 二人 トロピコの街を目指せ
君を不幸にできるのは 宇宙でただ一人だけ

『8823』作詞作曲 草野正宗

“君”に対する“自分”の影響力に、絶大なる自信を持っている。

実は、この歌詞の前には

誰よりも速く駆け抜け LOVEと絶望の果てに届け
君を自由にできるのは 宇宙でただ一人だけ

とも言っている。

“君”を自由にできるのも、不幸にできるのも、宇宙どこを探しても、そんなことができる人間は“自分”しかいない、と宣言している。

なんという思い上がった主張だろうか。それを、あのような弱々しい男性が、力強く宣言して歌っているのだ。

 

草野マサムネは新しい性癖を作る

あのように弱々しく繊細な男性が、君を自由にも不幸にもできる絶大な影響力を持った人物であると主張してくる。なんと勝手な男だろう、驚きに芽生える微かな喜びに戸惑う。

心の隙間に、「軟弱そうなのに実はメチャクチャ我が強い男は最高」という性癖が染み渡る。草野マサムネにマウントを取られたいという願望が沸々としてくる。

この性癖は、EXILEのメンバーに対する好印象を無効化する。

 

人はみな、草野マサムネについて語りたい願望がある。そして、以上のように実際に語ってみて、大して語れないことに気付く。さらに、草野マサムネ以外にスピッツを語れないことに、はっきりと気付く。

 

 

そんな感じ

気がつけば、このブログもすっかり更新が滞る始末。

なぜこんなにも更新頻度が下がったのかと言うと、実は、結婚したからだ。おまけに、子供も2人ほど産んだ。なんと、それはそれは可愛い、男女の双子を!

 

彼らと健やかに暮らすために、郊外に真っ白な一軒家を建てた。とても頭の良いゴールデンリトリバーが、子守役を買ってくれている。

 

ハーブと花がたっぷり植えられた中庭での水あげが毎朝の日課。休日には、カウンターテーブルつきのオープンキッチンでハーブティを淹れる。ママが焼いたバタークッキーとチーズケーキを頬張る子供たち。こぼれたおやつのカケラは、子守役がきれいに平らげる。

 

庭によく遊びに来た野良猫は、気付けば家族の一員になっていた。先輩と協力し合っておやつを盗むなど、イタズラをしては、叱られている。

 

晴れた日にはリビングの大きな窓を開け放して、家中に風を招く。洗濯物の石鹸の香りが、昼寝をする家族の頬を撫でる。

 

ブランチの後片付けをする手から、お皿が一枚、すり抜けて落ちた。お気に入りの分厚い皿は、意外なほどに簡単に砕けた。

お次は、三枚。きちんと積み重なった皿も、まっすぐ床に落ちて、あっけなく砕けた。

その次は、中庭にフリスビー。さきほどまでパスタを載せていた、丸くてきれいなお皿が、花壇のレンガに当たって砕ける。

家中の皿が、家を飛び出て行った。裸足で、中庭を駆け抜ける。バラのアーチをくぐり、門を抜け、丘をかける。スピードは上がり、膝はクルクルと、いよいよスピードを増した。

 

気付くと、海を越え、マレーシアに来ていた。名前も日本国籍も捨て、今ではマレーシア人として、オリンピック代表となり金メダルを獲るのが夢だ。

 

そういうことで、ブログのほうは難しい。

 

歳を取ると赤ちゃんに戻るというけれど

以前、おばあちゃんと雑談していた際に

「歳を取ると赤ちゃんに戻ると言うけど、あれは本当だね。最近はずっと寝ている」と言っていた。

 

横になり、日がな一日ウトウトと過ごすおばあちゃんの姿を想像すると私は和んだが、本人はふがいない気持ちなのだろう。

 

私はというと、最近ではよくパンツを裏返しに履いているようで、トイレで気づくたびに頭を抱えている。

 

年齢に換算すれば、5歳児くらいの凡ミスだろう。自尊心にグッと響く重めのパンチだ。

 

しかし、文化人としての自負もある。これは、一種の生きる工夫であると。

 

女子大生の時分に、女友達との3泊4日の韓国旅行にハンドバックひとつで参加した。身一つ、パンツ一つ。裏返せば、使えるさ。

 

そう、パンツは裏返しで使えるのさ。

 

完全なる冬季うつ病

夏の暑さが引いて朝夕に肌寒くなってくると、妙にセンチメンタルな気分になる。そういうものだとずっと思っていたが、近年の自分を振り返ると、それだけではないことがわかってきた。

 

すっかり寒くなると、元々悪い寝起きが最高潮に達する。

 

肌を刺す寒さの中、重たい体を引きずって職場へ行き来し、その反動で休日には泥のように眠り、ベッドからほとんど動けなかった。

 

夏の色鮮やかさに反し、冬は景色が全体的に灰色っぽく、曖昧になる。

 

気分はずっと靄がかかっており、時には全身が分厚い粘膜に覆われ、呼吸もままならず窒息してしまうかのような息苦しさも感じた。

 

職場の人間は私を無能で不要な人間と思っているに違いないと疑心暗鬼になった。

 

この世の中で自分を必要とする人間はいないという孤独感もあった。

 

そういった諸々の自意識過剰から逃げるために、積極的に眠り、お酒を飲めば職場の人間への不満が漏れた。

 

そして、今年も春が訪れた。

 

花粉の影響を多少感じるものの、力強い陽光を浴びると足取りが軽くなる。

 

気分も軽く、ポジティブな考えが溢れ、自分の好きなこと、やりたいことが増えてきた。

 

今思えば、今回の冬場の私は冬季うつ病だったのかもしれない。

冬季うつ病は女性に多いらしいという記事を見かけたし、その症状の多くが当てはまった。

 

意欲や欲望が湧かなかった冬が明け、気分を盛り上げるために春物の化粧品をたくさん購入した。

 

イデアに溢れ、常に人と話していたい気分だ。

 

ウンチとかオシッコとかそんなことをずっと話していたい。

 

そう、現在は現在でハイなのだ。異常に。典型的な躁うつ病の症状とも言える。

 

人間はまったく、常に不完全が普通だと思うしかない。健康などというのは単なる幻想で、人間は誰でも常に異常なのだ。

 

他人の生活を覗きたい願望の強い私がグッと来ているタバコ屋

ついつい店内を覗いてしまうタバコ屋がある。会社の帰り道にあるその店は、出来て1年も立たない、一軒家をリノベーションして作られたタバコ屋だ。

 

タバコへの当たりが厳しいこのご時世に、よくも新規オープンしたものだ。

 

外壁に塗られた深緑のペンキとカタチの良い窓ガラスは落ち着きがあり上品で、パッと見ではタバコ屋に見えない。書きながら気付いたが、そういえば、タバコが置かれているのを見たことがない。

 

奇妙なタバコ屋であることを本能的に嗅ぎ取ってきたのか、職場の帰り道で店先を通りすぎる度に、横目でチラッと一瞬、覗いてきた。

 

私は電車の車窓に流れる民家などを見て、干された洗濯物から家族構成や人柄といった細部を想像するほど、他人の家や生活に関心がある。

 

私という思想体を残したまま他人に気付かれずに脳みそに寄生し、あらゆる人の人生や感情を覗いて生きたいという願望がある。

 

念を押しておきたいのは、もし本人に気付かれたらと思うと怖いため、決してジロジロと見ることはできないパーソナリティを持っている点。

 

だからこそ、たとえば車窓から見える洗濯物であったり、足を止めることはない歩みの中のチラ見だったり、一瞬で得た情報から家主の人生や生活を雄大に想像することが使命となる。

 

かのタバコ屋もそのようにして私に覗かれ、様々な想像妄想に晒されてきたのだが、つい最近はじめて家主を見かけた。

 

奥田民生をさらにボロにしたような煤けたアラフォー男性という風貌だった。一瞬のチラ見にも関わらず目が合ってしまい、つらかった。

 

その後もとくに変わりなくチラ見してきたのだが、なぜか最近、タバコ屋が目まぐるしく変化しているのだ!

 

一昨日は、動物の餌入れが置かれていた。しかも、それなりに使われてきたような入れ物で、餌はほどほどに減っており、それなりに家に慣れている様子が感じられた。器のサイズから猫か小型犬だと思われるのだが、あのタバコ屋で動物の影を見たことがない。

 

昨日は、古いパチンコ屋のカウンター横にでも置かれていそうな、ガラスの冷蔵庫が置かれていた。中身は空だが、これから飲み物をそれなりに置いきたいという心意気を感じ、なんとなく不審に思った。

 

いよいよ、今日。なんと、タバコ屋の入り口に「無料立ち寄り所」的な言葉が追加されていた! ここ最近の精力的な変化はこのためだったのかと納得しているのだが、店主さえほとんど見かけないタバコ屋を覗く楽しみがなくなる失望感があった。

 

タバコが見あたらないタバコ屋の入り口からは、7畳ほどの広さに小さなテーブルと椅子1脚、キッチン、ロードバイクが見える。誰にも咎められずに、一瞬だけ他人の生活を覗ける、万華鏡を覗き込むような煌びやかさがあった。

 

しかし、こうやってここに書き記しているうちに、今度はそこに集う人物を時々目撃できる可能性もあることがわかった。

 

あんな謎の店に集う人物というのはろくでもない人物に違いない。

 

覗くたびに新しい発見のあるタバコ屋に日々店内を覗かされているが、今後も覗かされる日々が続きそうだ。