今日も仕事。食べるのも仕事。[29歳OLのリアル飯。8皿目]

今朝のこと。

5歳ほどの男の子と母親が、大して混んでいない通勤電車に乗ってきた。男の子はまだ閉まらない電車の扉に体を向けながら、母親の顔を見上げた。
 
「ママ、どうしていろんな人が、くさいまま、いるの?」
 
「えっ。 そうね、これだけ人がいれば、いろいろな匂いがするかもね。」
 
「ねえ、ママ。なんで?なんでいろいろなくさい人が、たくさん電車に乗っているの?」
 
「そうね...みんな、お仕事に行くのよ。」
 
男の子は納得できないまま、数回、母親に同じ質問をした。母親にとっては苦しい時間だったに違いない。大きくはなかった男の子の声も、静かな車内には十分な存在感を放っていた。唇を噛み締めた人も多かっただろう。
 
男の子にとっては私も電車内の臭さを構成している一人に過ぎないショックと、そもそも臭さなんて気付きもしなかったことへのショック。臭いに紛れてるから、自分じゃわからないのかな。
 
 
ゴールデンウィークに、甥っ子、姪っ子と徒歩で10分ほどの広大な公園を目指した。
歩道脇の草。羽虫を運ぶ蟻。コンクリートの裂け目の蟻の巣。揺らめく蝶。雑草の花。兄妹けんか。日陰での休憩。元気が出るグミ。
 
注意は次から次に移り、ちっとも道中は進まない。移り気な子供心をなんとなく目先の草花や虫などに向けさせ、ゴールを目指す。体力もあり、公園でしっかり遊びたい甥っ子と、飽きてしまい、1度にたくさん歩けない姪っ子。あと少しだよ、とあと少しが何回も刻まれて、ごまかしごまかしに到着した公園も、すぐ飽きる姪。
 
子供がこんなにも、先のことを読んだり気持ちを継続させたりすることができないなんて私はまったく知らなかった。危険への予見が身体に染み付いていないまま自分の意識に潜り込んでしまうから、車通りのある狭い歩道で、ふいに車道方向にも走る。子供は本当に不注意だ。子供の動きはこんなにも不安や心配を誘うなんて。そんなふうに感じること自体、私の目線がすっかり変わったことを表してる。
 
もう戻れない、むこう側の景色と感覚。こちら側ではいつの間にか、くさい大人のひとり。
 
ごちそうさまでした。
 
[今日の材料]
新玉ねぎ 1/8
にんじん
わかめ
しめじ
エリンギ
豚肉
うどん
 
(調味料)
辛スープ
ごま