動物園の猿山を見て感じたこと

先月末、お墓参りのために家族で集まり、その足で動物園に行った。

 

動物園をぐるりと見て回った後、閉館までさほど時間がないというところで、甥っ子のたっての希望により、最後は昆虫鑑賞となった。しかし、着いた頃にちょうど閉館。動物園が閉館する30分前に昆虫館は閉まるらしい。絶望に打ちのめされる甥っ子。

 

そのすぐそばには標識が立っており、小さな丘を登った先に猿山があることを示していた。猿山まで競争しようと提案すると、ヨーイドンと掛け声をあげて甥っ子は我先に走り出した。姪っ子も笑い声をあげて追いかけてくる。

 

丘の頂に位置する猿山は、丘を深く掘り下げて作られている。丘に立つ私達の目線の高さに、猿山の頂上が見える。甥っ子を追う形で頂上に着き、自然と目に入った猿山を見据えると、身を寄せ合って暖をとるグループが点在していた。

 

グループの一つに居た、栗毛が豊かに伸びた顔の真っ赤な猿と目が合った。いつ歯を剥き出し威嚇されてもおかしくない、怒気をたっぷりと含んだ目線。視線がズレた瞬間には火の粉を感じた。

 

猿山に近づくにつれ、その全貌が目に入った。猿山には深い谷があった。そこには、体のあちこちにハゲがあり桃色の地肌が剥き出しとなった猿がいた。

 

彼らも猿山の上にいるグループと同じく、冷たい外気から身を守るべく身を寄せ合っていた。その日の灰色の空は、切りつけるように冷たかった。

 

谷の底で身を寄せ合う桃色の猿の中でも一際ハゲの多い猿が目に付いた。小学校で飼われていた鶏が頭をよぎる。その猿は単独であった。

 

彼を近くで見ようと猿山を半周し、真上の辺りと思われる柵に手をかけて覗き込んだ。覗き込むまでの間に彼は少し移動していた。遠目で見るよりもハゲていたが、彼は小さなグループに身を寄せていた。身を寄せ合う個々の目つきは空虚だった。

 

それでも心が少し軽くなったように感じていると、視線が別の生命の気配を捉えた。手をかけた柵のほとんど近くに、一匹の黒々としたゴキブリがいた。季節外れのこの生物は谷へと長く伸びた壁に張り付いている。羽の収まりが悪く、寒さのせいか動きは鈍い。

 

距離を取るべく、ゆっくりと柵を離れ、数歩移動してまた柵から覗き込む。さきほどのゴキブリの姿はなくなっていた。

 

野生生物であるから、人間の視線から逃れた隙にどこかへ行ったに違いない。また谷底の猿に目を向けると、グシャリと音が聴こえてきそうなゴキブリの姿が見えた。すぐ側には桃色の猿がおり、空から落ちてきたゴキブリを見ている。

 

猿はゴキブリを食べるのか?とふと疑問に思った。食べないにしても、攻撃の対象にはなるのではないか?何にせよ、猿に視線を注がれるゴキブリにとってはピンチに違いない。

 

ふたつの生物の様子を見守っていると、猿はゴキブリを避けるようにその場を去った。何となく、気持ち悪がっているような様子だった。猿にとってもゴキブリは好感を持てる生物ではないのかもしれない。あとに残されたゴキブリはヨロヨロと歩み始めた。

 

「もう見ていられない」と強烈に思った。猿山の頂上で身を寄せ合う猿も、強い猿に毛を抜かれ地肌が露わになった猿も、そこに紛れ込んでしまったゴキブリも。この山は悲哀に満ちている。

 

猿山の桃色の猿を見た瞬間、母はひどく悲しそうな、切なそうな表情を浮かべ、孫達の手を引いて早々に立ち去った。人間が社会で生きるときの無慈悲さを、猿社会にも感じ取ったようだった。母の悲しみは明らかに谷底にいる猿たちへの共感に根差していた。

 

猿山を後にし、手をつないで歩く母と甥っ子、姪っ子の小さな背中を見る。猿山の弱い猿たちに共感して胸を痛め、あとは見ようともしないというのが何とも母らしい。赤児を抱きながら猿山の生態に関する説明を食い入るように読んでいた姉と合流して、少し笑った。姉は仕入れたばかりの猿山の仕組みについて説明をしてくれた。

 

野生の猿はいくつもの群れを行ったり来たりすることで、相性の悪いグループに身を置かないように調整しているらしい。しかし、動物園で飼われている猿はそういうわけにはいかない。そのため、弱い猿は強い猿から嫌がらせを受けて、毛を抜かれたりするらしい。

 

広がらない世界。終わりのない生活。立場を挽回できるチャンスはあるのだろうか。空虚な目つきの谷底の猿も、何かに怯えながら身を寄せ合う猿山の猿も。這い上がれない諦めと、いつ転がり落ちるかわからない恐怖に満ちていた。

 

振り返ると、頂上付近で交尾をする猿が目についた。なんとなくバツの悪い気持ちになって顔を戻す。喋る気は失せていた。

 

産後うつのようで、年明けから折に触れて離婚したいと口にするようになった姉と、猿山の谷に共感を覚える母と、空虚な私。人間の生活というのも、なかなかに体毛を毟られるような歩みであることには違いない。