観光外国人に話しかけるという性癖

性癖は人それぞれ。分かっちゃいるけど、他人のソレも自分のソレも気になってしまう。

 

観光外国人に突発的に話しかけてしまう癖がある。道に迷っていそうな人、限定であるが。これまで、この行為はただの好奇心やお節介だと言い聞かせてきた。

 

決まって英語で話しかけるものの、大して話せる訳でもない。「あなたのことを助けましょうか?」などと意気揚々と話しかけてきた日本人女のたどたどしい説明を聞かされる、という忍耐が相手には求められる。残念ながら、私の手助けはいつも、手放しの完璧なヘルプなどではない。

 

週末、とくに約束のない予定のために移動する中で、駅構内の地図を食い入るように見つめる外国人カップルに遭遇した。

 

彼女たちを横目で見ながら、想像した。彼女たちは今困っているではないか?私にできることがあるのではないか?

 

彼女たちをヘルプする未来。彼女たちをヘルプしない未来。この二択で、どうしても刺激的に思われる未来を選んでしまう。


尋ねてみると、駅構内にある有名画家の壁画が見たいらしい。ネットで調べた写真を見せてくれた。その場所を理解できた私は説明を試みたが、すぐに諦めた。案内する文法がまったく浮かばないのだ。その場所まで実際に案内することを選んだ。


移動中、いつものように日本に来た理由や滞在期間、日本のどこが好きかなどを質問攻めした。女性のほうが日本文化のファンで、日本学校に通いながら8月まで日本に滞在予定だという。控えめなオランダ人カップルで、あれこれ聞きたがる私にやや困惑している様子だった。

 

彼女たちが探していた壁画が目前になった頃、階段を降りれば右手に見えてくるよ、と伝えて、別れることにした。相手方はとてもありがたそうにお辞儀をしてくれた。


案内の後、私は例えようのない高揚感に支配されていた。手足が痺れてくるような興奮だった。日本に観光にきた人の一瞬に関わること、日本とは異なる文化圏の人に善意という名目で介入すること。実にスリリングで、最高の時間だ。


目的地へ向かう電車を目指しながら、壁画を前に、2人のツーショットを撮ってあげるべきだったのではないか?などと後悔の念が浮かんだ。あなたならもっと、日本の面白い街を案内できるのに、Facebookで友達にでもなれば良いのに。


次から次に、もっとやれたという気持ちが湧く。冷ややかな視線も感じる。クスクスと笑う声も感じる。


一つ一つを振り払うように、駅へ向かって歩く。迷いも喜びも後悔も含めての時間だ。観光外国人の一瞬に関わるために話しかけることはスリルだ。歓喜だ。喜びと絶望だ。もはや性癖だ。