父について

先日、父の命日だった。今年で7年になる。

 

日本の南端にある小さな島の小さな村で産声をあげた父は、聞いた話によれば、かなり活動家だったらしい。


婿養子を貰うほど男の少ない家系の初産かつ長男ということで、親戚一同に大層喜ばれたそうだ。周囲の溺愛を受け、元々の快活さは誰かに押さえつけられる隙もなく伸び伸びと成長を遂げた。


隣村からの来客者に入場料としてお菓子を要求したり、相手の年齢や体格問わずに気に入らない相手には飛びかかったりと、母親であるおばあちゃんの元には、息子に関する何かしらの苦情や相談がいつも寄せられた。


相撲が強かった、喧嘩っぱやかったなどのエピソードには事欠かない。

 

しかし、それらは父の好奇心や悪戯心、正義感や負けん気の強さと言った性格に根差しており、弱い者イジメや嫌がらせと言った卑屈な行為はなかったと、幼少期から青年期までを知る人々から聞かされる。


流行に敏感で、ハイカラな一面もあった。エルヴィス・プレスリーといった1970年代のアメリカン・ミュージックが日本中で流行した頃、父は日本本土から管楽器を取り寄せ、島で初のブラスバンドを結成したそうだ。それらの様子はアルバムのモノクロ写真で確認したことがある。


娯楽の乏しい時代に響いた管楽器はさぞ魅惑的だったに違いない。おばあちゃんの話によれば、父が本土を離れるときには、泣きながら見送る女性グループが数組はいたとか。

長男が高校を卒業したことを機に本土へ移住した一家は、父を長男として子供5人、夫婦2人、祖母が1人と大所帯であった。

父は一家の稼ぎ柱として社会の荒波に揉まれることとなる。時は高度成長期で、日本中に活気がみなぎっていた。自立心が旺盛な父は、自分の父親と弟とともに配管会社を興し、バブル経済に人々が湧く中、順調に売り上げを伸ばしたようだ。1千万の売り上げがあった月もあるとか。

 

他にも、気性の激しさを表すエピソードがいくつかある。とある有名な宗教の信者2人と議論を交わし、父は不快な思いをしたらしい。そのときの悔しさや怒りをエネルギーに、宗教に関する本を数冊読み込んで、後日その2人と再び議論の機会を作った。父の気の済む限り議論し、コテンパンにしてやったらしい。

そういった気性の激しさや、いつまでも根に持って復讐心を燃やし、あくせくと努力するところなどは私にもはしっかりと受け継がれている点だ。

 

さらに、父には好奇心旺盛で収まりのつかないところがあったらしい。会社経営が非常に順調だった父は、私たち家族が住む家とは別の場所にも、人知れず帰る家を作ろうとしていたそうだ。出張が多いことを良いことに、外に女を作っていたらしいと、つい最近になって母に聞いた。恋愛に真面目すぎる生き方をしてきた母には、非常に理解し難しい問題だったはずだ。

 

問題行動を挙げればキリがない人間である。太く短く青春を終えた父の生き様を、残された家族は骨を拾うように慈しむしかない。

母は母で、父が1番格好良かった頃の姿で私の夢に出てきた、だから私は何も間違っていなかったと、極めて個人的な妄想を現実問題と結びつけて結論し、その旨を私達子供にメールで送りつけては、それぞれに気味悪がられ、ますます自分の立場を悪くしている。父の死後も、彼女は平常運転を続けているのだ。母が言う通り、父は浮かばれているのなら良いけれど。