特等席

昨日、朝の通勤電車にて。

無事に座席を確保し、いつものように携帯でネットサーフィンをしながらニヤついていると、隣とその隣に席を並べる見知らぬ男女の小競り合いを目撃した。その男女は目を合わせることもなく、互いに肩や腕をしきりに動かして威嚇し合った。

 

隣に座っていた男がわたしから遠いほうの腕をグイグイと動かす様が目に付き、わたしははじめて不穏な空気に気づいたのだった。

男の動きには自分が抱えている不服を世間に示したいという意思が強く現れており、さらには、自分の不服をわからせるためには手段を選ばないぜ、というような思想も透けていた。

言葉にするのではなく、動きによって、しかも暴力を匂わせることで誰かに行動の自粛を促そうとしていたのだ。

 

マジヤベェなコイツ、とわたしは思った。

 

マジヤベェ奴が隣だと、厄介だ。わたしは携帯を持つ手をそっと膝に移し、男から表情を隠してとりあえず静かに呼吸した。しかし、席を立って離れるにしては時期尚早と判断し、シマウマの視界で彼の動きを観察した。

 

彼のグイグイを数回見ると、事態が把握できてきた。彼はわたしではないほうの隣の女に「俺はいつだって良いんだぜ」感をアピールするために腕を動かしていた。

女は序盤こそ、腰や腿を使ったグイグイ返しで応戦していたが、その男が女相手に腕力を振りかざしそうなタイプであると悟ったのか、今度は男のグイグイが当たった場所を汚いと言わんばかりに手で払っていた。言葉にこそしないだけで、その動きは「あ〜。汚い。あんたみたいな汚い男がぶつかったなんて、腕が腐っちゃう」と口にしているようなものだった。

 

秋晴れの澄み切った空気とあたたかい日差しが差し込む車内で、大人の男女が隣り合っていつまでもそんなやりとりをしていた。どちらも、目も合わせず、言葉も発せず、移動もせず、自分がいかに不愉快に感じているか、相手にアピールすることだけに一所懸命になっている。

 

異様な光景だった。わたしはどうして良いかわからなかった。

 

ゴールの見えない争いが続く中、とうとう男は拳を握り、骨を鳴らし始めた。ポキ、ポキリ、パキ。

相手への威圧を目的とし、腕力アピールのために手の骨の音を鳴らすなんて真似をする者は、わたしはドラえもんジャイアンしか知らない。

 

しかし、男の骨の音を聞いた女には効果があったのかもしれなかった。冷戦のような状態がしばらく続いた後、男は大学名が入った駅で降りていった。まばらな茶髪頭で清潔感が乏しい、年齢不詳だった男が、もしかしたら大学生かもしれないのだ。

 

男の4駅後、わたしは自分の目的とする駅で降車する際に、女と目が合った。20歳±2の若い女だった。流行をそれなりに追っていそうな身なりで、何も知らずに見たら、どこにでもいそうな、ただの可愛いらしい女子だ。すぐ隣に座っている見知らぬ男と、悪意に染まったパントマイムのラリーを繰り広げるタイプにはとても見えない。

女の表情にはまだ、不服の色が見えた。「てめぇもやられてえのか?」荒ぶった感情が女にはまだ残っており、きっかけさえあれば今にも飛び火しそうに揺らめいた。

 

目的駅のホームを踏み、改札を目指して階段をのぼりながら、さきほどまでの異様な出来事を振り返った。

 

 

なんとも不気味な時間だった、とわたしは思った。

 

わたしがもし神だったら、

チェス盤の上に並んだ駒を

片手で無造作になぎ倒すように

きっと人類を滅亡させる。

 

 

ゴキブリといえば

たいていの人間は嫌悪感を示す。

遺伝子に組み込まれているのかもしれない。好きだと言う者を見たことがない。そんな存在をタイトルに入れるのは賢明な試みとはいえない。それでも、強く浮かんでしまったものを書き記しておかないわけにもいかない。難儀だ。

 

 

29年間のうちの、はじめの5年はよく覚えていない。次の5年は、ゴキブリと同じ屋根の下で同じ釜の飯を食べた。幸いなことに、それ以降は彼等とほとんど顔を合わせない人生を歩んだ。

 

ゴキブリとの同居生活が過去のこととなって久しくなった頃、わたしが23歳と数ヶ月のときだ。若くで患った脳卒中の後遺症として左半身麻痺を抱えて20年生き永らえた父が、他界した。6月だったにもかかわらず、葬儀を終えるまでの数日間、ひどく暑い日が続いた。

姉と兄は家を出て自活していたが、母と、廃人のような留年大学生のわたしは最後まで父とともに同じ家で暮らした。

苦労をかけられることしかなかった父の存在であったが、それでも父の死はわたしたち家族に大きな喪失をもたらした。体にポツポツと空いていた穴がすべてつながって、いよいよ大きな空洞となった。

 

家に残ったふたりを気遣って、姉が飼っていたチワワを連れてきた。母とわたしとチワワ、女3人での暮らしが始まった。

余談だが、このチワワは生前の父から切り干し大根を餌付けられたことがある。(病気の影響もあるとは思うが)戦後の何もない日本で、畜生と一緒になって経済を立ててきた父の世代の人間には、血統書つきの犬の軟弱さが想像もできないのかもしれない。

チワワという犬は生来体が弱いらしいので人間の食べ物は与えないこと、という家族の忠告を常々無視しては、何かしら分け与えた。父は父で、面倒見の良い人間だったのだ。

消化できずに持て余した切り干し大根をチワワがすべて吐き出し、父と彼女が家族に隠れて行ったやりとりが露見した。

それは、大人の親指ほどの太い切り干し大根だった。兄が5つ、私が1つ。処理した人物の証言を集めると、合計6個の切り干し大根を彼女は口にしていた。もらった分だけ、食べたのだろう。彼女にはそういう分別のつかないところが多々あった。

 

父がいない生活に段々と慣れ始めた、熱帯夜を思わせるある夜。生前の父が過ごした部屋で母とふたりテレビを観ていると、床いっぱいに敷かれたござの隙間から壁にかけて、黒い影が走った。

 

ゴキブリだった。

 

わたしは嫌悪感と恐怖からすぐさま殺傷を試みたが取り逃がし、ござの隙間に逃げられてしまった。彼または彼らが家のどこかに留まっているということがひどく不快だった。何年もその姿を見ていなかったのに、まさか自宅内に出るとは。母とショックを分け合った。

 

すると次の日も、昨晩と同じように、ござの隙間からゴキブリがするりと出てきて、すぐさまござの隙間に消えていった。またしても取り逃がしてしまった。その姿を見かけることがなかった我が家に、2日連続でゴキブリが出たことにわたしはひどくショックを受けていた。

しかし母は、彼女は“妙だ”と考えたようだった。

 

「お父さんかな...」

 

母がつぶやく。彼女はスピリチュアルな思考を得意としてきた。その思考や発言には常々人間離れしたものがあり、わたしなどは、彼女には紫色の血が流れおり、彼女の口から出る言葉は黄緑色のゼリーだと思っている。そんな彼女を経て生まれたはずのわたしたち子供は、そういった彼女を“天然ボケ”という棚に乱暴に押し込んで、やり過ごしてきた。

 

彼女はブラックジョークを言えるような機転のきくタイプではない。悟ったような、真面目な表情をしていた。

ブラックが過ぎる。 

6匹目 〜2016年下半期中間報告〜

昨日、自宅の最寄り駅の線路沿いに野生のゴキブリを目撃した。

今年の下半期だけで6匹目。わたしが彼等を引き寄せるのか、世間一般があまりにも彼等の気配に無頓着なのか?

これほど野生のゴキブリを目撃しているアラサー女が他にいるだろうか。

 

いずれも場所はバラバラで、飲食店が近くにあったわけでもない。渋谷や新宿といった雑多な街ならまだ理解できるが、静かな住宅街だったりする。

 

さらに、見た目やキャラクターもバラバラだ。 

住宅街の歩道をどんくさそうに歩いている鈍間や、 だらしないサラリーマンのように背中の羽根をはみ出させながら恵比寿駅のロータリー横を忙しくなく走るドジ、昨日は夜道で見ても黒々と光っるせっかちそうな堅物であった。

人間と一緒で、多種多様そのものだ。

 

かくいうわたしは、この先の人生であと何回衣替えをしなければいけないか、排水溝の髪の毛をあと何回取り除く人生なのかを考えてうんざりしている。

ゴキブリを目撃したときにしか筆が乗らない体質になりつつある。末期だ。

 

必要なのは、恋。ときめき。

 

5匹目の

ゴキブリを見た。追い抜かした。すっかり肌寒くなった秋の夜、金曜日の恵比寿駅東口のロータリー横を彼は慌てて走っていた。

スーツは乱れ、ジャケットの裾口からはシャツがはみ出ていた。脚を忙しなくバタつかせ、微々たる歩みを進める。彼の様子からは焦りがありありと見て取れた。

 

花金だと言うのに。思ったよりも残業が長引いてしまった。会食の約束があったのに...!駆ける足を加速させる。彼女は怒っているに違いない。帰ってしまっているかもしれない。あぁ、会社でも彼女にも謝ってばかりだ!

 

屋外で見かけるゴキブリはやっぱりのろまだ。もはや可愛くすらもあった。

 

頑張れ、ゴキブリ。頑張れ、新米サラリーマンゴキブリ!

まじヤバい

今までの29年間もずっとヤバかったけど、たぶん、最近もまじでヤバい。

 

1.職場でヤバい

社長と直属の上司との三者面談。査定目的じゃないと前置きがあったこともあり、率直な要望を述べた。会社への直近の要望は無料貸し出し図書、数年内の要望としては育児休暇の取得(現在、配偶者や婚約者どころか彼氏もいない)。

 

2.自分がヤバい

ジャンル問わず、とにかく興味を持った作品を観まくることを決意。飲みの席でたまたま話した年下青年と映画の話になり、最近感銘を受けた映画のテーマであったスカトロに関して熱弁。嗜好はないものの、わたしは食べる人生か食べない人生なら、食べる人生を選びたいと宣言。

 

3.気になってる人がヤバい

昔働いていたバーに寄り道した際に、隣の席にいた人間。始終ニコニコしていて、八方美人かよ気に入らねぇと思っていたところ、とんでもないモンスターだと判明。

物理、映画制作、CG技術と変遷を経ながら、自分が本当に情熱を持てる表現を模索していたところ、爆発・崩壊の美学に着地。これまでの知識を駆使し、最高の爆発・崩壊シーンのために日夜、物理の計算とプログラミングに向き合っている。世の中の素晴らしいもの・素晴らしくないものはすべて、彼にとっては爆発の破片に過ぎない。

 

まじヤバい。世の中は素晴らしい。

ポケモンGO

先輩2人とともに客先に訪問した帰り道、会社方面に向かうバスの座席に腰をかけるとすぐ、2人はiPhoneの操作を始めた。

仕事のメールチェックかと思い押し黙ると、やがて2人はポケモンGOについて会話を始めた。iPhoneを確認し続ける理由はゲームだった。

確かに今日の客先で、ラプラスを捕まえにお台場に行ったと担当者が口にした際、僕も捕まえに行きましたと食い気味に話していたけれど。

 

ポケモンGOへの情熱をすっかり無くした私は先輩2人の現在のレベルを聞き、少なくても10レベルは差が開いていることを自己申告しつつ、継続できるモチベーションについて聞いた。

 

2人とも、完全なるコレクター魂で続けているらしい。先輩の1人がポケモン図鑑を見せてくれた。図鑑の前半、載っていないポケモンは皆無だった。

後半になるとポツポツと図鑑に穴が見られた。その中に1つだけあった、黒い影のみが表示されている箇所について質問すると、捕まえ損ねたポケモンは図鑑にそのシルエットの影だけが表示されるとのこと。

ラプラスだった。お台場まで行ったものの、捕まえられなかったらしい。他人の動きを頼りに、できる限りの場所を回ったが、捕り逃したのだとか。

先週末、久々に雨があがって快晴の中、iPhone片手にお台場まで赴き、何も捕まえられなかった38歳男性の姿が浮かぶ。

 

ラプラスの話をしながら先輩はときどきスマホの画面に視線を落とし、指をくねらせた。画面の中の先輩はイーブイを捕まえようとしていた。

 

イーブイは、捕まえるときに最も心ときめくポケモンのひとつだ。まあるい瞳、ふっくらとしたボディ。やわらかなジャンプ。そよぐ毛並み。威嚇したときの目つき。すべてが愛くるしい。絶対に逃したくないポケモンだ。

 

先輩は週末にお台場で逃したラプラスの話をしながら、片手間でイーブイを捕まえようとしていた。モンスターボールを投げる前にボールを回転させると捕まえやすくなる、という小技も慣れたもの。その手つきは事務的だった。

 

「先輩にとって、イーブイを捕まえることは作業ですか。」

 

思わず聞いてしまう。

 

「まあね。」

 

先輩は当然とばかりに答えた。もう1人の先輩は私の目も見ずに「そうそう」と後押しした。

 

「なんでですか?イーブイ、こんなに可愛いのに。捕まえたら嬉しくないですか。」

 

私は食いさがる。

 

「俺ら、そういうふうに見てないから。」

「ぶっちゃけ、『アメ』としか思ってないし。」

「ただの1匹。」

「経験値上がるし。」

「名前とかもどうでもいい。」

「ネズミが出たとか、カニが出たとか、そんな感じ。」

 

私は言葉を失った。確かに、コラッタもクラブもありがたいと思ったことはない。むしろ、クラブなどは気持ち悪いとすら思っていた。それにしても、名前くらいは認識している。

 

先輩の1人が、ポケモン図鑑ピカチュウを見せる。後ろ姿のピカチュウが、鍵シッポを揺らしながら雷を落とした。その猛々しい様子と似合わない後ろ姿が、なんとも愛くるしい。

 

ピカチュウの姿を見て、カワイイとか? ないわ〜。」

 

かつてポケモンを始めたばかりの頃、最初に出現するゼニガメフシギダネヒトカゲを3回無視するとピカチュウが出てくると得意そうに教えてくれた先輩。あのときのピュアな気持ちはどこに行ってしまったのか。

 

経験値が上がる

アメとしか思っていない

名前とかもどうでもいい

 

かつてポケモンマスターを目指したこともあった私は、わからなくもないと頭の半分で理解しながらも、

この男どもは絶対に許せないと、もう半分の女の感情が思う

世界最小、祭り囃子

会社から駅までの道程でイケメンサラリーマン3人衆を食い気味に追い抜かした頃、小さな異変に気が付いた。

 

ほんのり荒い鼻呼吸。息を吸うときに毎回ピーと小さな音が聴こえるではないか。

 

意識を集中させて数回ほど呼吸を確かめると、これはしばらく鳴ると思った。ひさしく聴かなかったこの音。私は29年の間に何度この音を鳴らしただろう。幼い頃はこの音が可笑しくて、聴こえるたびに楽しい気持ちになったもの。何も感じなくなってから何年経つだろうか。

物思いに耽っても、私の心はかつてのように踊らない。

 

ピーィ

 

ピーィ

 

鼻笛だけが弱々しく儚い音を鳴らしている

 

ピーィ

 

ピーィ

 

 

そんなに鳴ったった何もしてあげられないよ。踊らないんだもの、心が。

 

ピーィ

 

ピーィ

 

カッ カッ

 

前を歩く大きな背中のリクルートスーツの女性が、パンプスで力強く私の鼻笛に太鼓を打つ

 

ピーィ

 

ピーィ

 

カッ カッ

 

ふんどし姿の力持ちが、二本のバチで威勢よく太鼓の縁を弾く

 

ピーィ

 

ピーィ

 

カッ カッ

 

ピーィ ピーィ カッカッ

ピーィ カッカッ  コッコッ

駅が近づくにつれ太鼓の種類は増えていく

 

遊びに夢中ですっかり暗くなった夏の夜、忙しなく回転する自転車に両足で体重を預けながら児童会館を横切った。

磨りガラスからは黄色い光と祭り囃子の練習音が漏れ、私は夕飯を目指して暗闇の中を突き進む。