とっても、おばあちゃん。

おばあちゃんとの月一定例会として、「健康ランドで入浴し、併設の回転寿し屋で寿司と生ビールをくらう」という活動を始めて今年で2年目になる。

 

クリスマスイブでもあった本日が2016年の最後の定例会だった。なぜか嫌な予感がしていたのだが、案の定おばあちゃんは40分ほど遅れてきた。わたしたちはいつも11時に待ち合わせするが、大抵はどちらかが遅刻する。それも5分とかのレベルではない。だいたい、20分〜1時間ほどだ。今回の40分はなかなかの遅刻だが、ここしばらくはわたしの遅刻が続いていたので、遅刻タイムのバランスがフラットになりつつあると思った。

そして今回はおばあちゃんの妹がゲストとして参戦していた。彼女もおばあちゃんと同じ時刻、つまり遅刻で登場だ。

 

ちなみに、待ち合わせの時間は以前はもう少しフレキシブルに決められていた。大抵は、おばあちゃんのほうから「少し早めの10時に待ち合わせよう」とか「せっかくの休日に11時待ち合わせは可哀想だ。12時にしよう」などの提案をしてくれた。わたしはいつもその提案に乗るカタチで待ち合わせ時間を決めていたが、ある日、12時の待ち合わせに20分ほど遅れて着いた際、おばあちゃんにめちゃくちゃキレられたことがあった。

話を聞くと、おばあちゃんの中での待ち合わせ時間はいつの間にか11時に変更されており、しかも早く到着していた。わたしはそんな日に限って寝坊。定例会史上一の大遅刻となった。それ以来フレックス制は廃止し、待ち合わせは11時がデフォルトとなった。

 

 

どちらかが大幅な遅刻をしたとき、会った瞬間にピリッとした空気がふたりの間に流れる気がする。一応、怒ってはいるのだ。遅刻したほうが謝罪し、するっと近況報告に入り始める頃、合流できた喜びがじんわりと胸に広がる。遅刻への怒りよりも、約束が忘れられていなかったことへの安堵が勝り始める。

 

止まらないおばあちゃんのマシンガントークに相槌を打ちながら脱衣所へ移動し、服を脱ぎながらおばあちゃんの話を聞く。わたしが体重計に乗る瞬間もおばあちゃんのターンだし、湯に浸かる前に軽く体を洗うとき、ジャグジーつきのお風呂に隣同士で腰掛けるときも、ずっとおばあちゃんのターンだ。わたしはいつも返事しかすることがないので、他の考え事をしたり、ときどき寝てしまうこともある。おばあちゃんはあまり気にしていないようで、おばあちゃんのターンは終わらない。

 

おばあちゃんはわたしの知らない親戚や知人の話をさもわたしが知っているかのように語る。ほとんどの人のことを知らないけれど、おばあちゃんに、この人は知らないかな?と確認されない限り、わたしは知らない人だということを伝えない。おばあちゃんが話している人をわたしが知っているかどうかはあまり重要ではない。野暮なことは言うものではない。

 

お風呂にたっぷりと浸かったあと、(おばあちゃんは途中の売店に気を奪われながらも)、わたしたちは回転寿し屋にまっすぐ足を進める。回転レーンの中に立つ顔見知りの板前さんに挨拶をし、わたしたちがカウンター席に腰をかけると同時に生ビールが2つ運ばれてくる。

お疲れ様、とカチンとグラスを合わせ、グイッと一飲みする。丘の上にある回転寿し屋には一帯を見渡せる大きな窓が広がっており、季節ごとの光と木々が風景の一部になる。ビールに差し込む柔らかい光が炭酸の粒を輝かせる。お風呂上がりのビールと寿司が体に沁みわたる。そうしているうちに、待ち合わせの遅刻のことなどは飲み込まれて消えてしまっている。

負のパッチワーク

毎月毎月、お給料日後のこの時期、とある銀行からメールが届く。

 

「お客さまにおかれましては、2016年10月末時点で特典提供の条件を満たされませんでした。」

 

もう何ヶ月も、マイレージクラブの特典を受ける条件に達していない。不適格であったという事実自体は仕方がないことだが、1度も応募していないことははっきりさせておきたい。応募していない特典について、不適格者であることを毎月、メールで報告されている。

毎月メールを開くときに、応募はしていなかったものの、何かの手違いでマイレージクラブの特典を受けられることになっていたりして、などという妄想がなんとなしに頭をよぎり、当然ながら今月もダメだったとうっすら落胆してしまう。

なぜ、告白してもいないのに振られたような気持ちを味あわされなければいけないんだと、全く同じテンションで毎月憤っている。月に1回、ちょうど忘れた頃に送られてくるので、いつもまっさらな気持ちで落胆してきた。そして今日、とうとう「いい加減にしろ」とはっきり思って、ブログに記すことにした。

ブログに記すにあたって、思いきってメールにクレームの返信をしてみたらWebの人気記事のようなおもしろい展開になるのではないか?と、返信メールを半分程度作った辺りで冷めた自分の視線に耐えられなくなり、メールを破棄した。

難癖とも受け取れるクレームを言いつけ、それらのやりとりをおもしろい事件かのようにキーボードを嬉々として打ち鳴らしながら書き示すなんてゴミクズだ。

 

メール画面をそっと閉じ、窓に映ったアラサーの微妙な表情と見つめ合いながら帰宅した。

デリカシーのない先輩

わたしの職場にはデリカシーのない先輩がいる。

先輩が話しかけてくるときはいつも、迷惑な気持ちを少しも隠さずに対応している。場合によっては、「今集中して仕事をしているので茶化さないでもらっていいですか?」などと釘を刺してすぐにシャッターを閉める。

先輩はすかさずシャッターの隙間に手を滑りこませ、「少し話しかけられたくらいで途切れる集中力ってどうなの?」などとのたまう。舌打ちしたい気持ちを抑え、何かしらのイヤミで返す。国が国で、職業が会社員なんかでなければ、2度と口がきけないようにしている。

 

わたしは、デリカシーが足りていない程度の人間にはデリカシーを持って接するが、その先輩に対応するときには自分までデリカシーが欠落する。

 

デリカシーのないその先輩はひどくおしゃべり好きだ。人間関係において、会話というものに重きを置きすぎている。議論の際には、卓球のオリンピック選手ばりにラリーをしないと気が済まないらしい。相手が少し優しかったり気が弱かったりして、ラリーの途中で躓こうものなら、隙ありと思うのか倒れた相手にピンポン球を浴びせ続けるような攻撃性を持っている。

親切な誰かが間に割って入り、手を貸そうものなら...そんなのは相手のためにはならないと決めつけ、転んでいる人への追撃を親切だと捉えている。

 

そういうデリカシーのない先輩を見て、なんて厄介なんだろうと引いていた。

 

そして、ついに自分まで同じような仕打ちを受けたときには、あまりの不愉快さに怒り心頭し、夜な夜な復讐を画策したために2日ほどはよく眠れず、怒りに晒され続けた体は1週間、鉛のようだった。怒りと寝不足で血走る眼球は、相手に致命傷を与える隙を常に探していた。我ながらとんでもない時間を過ごしたと思う。

口をきけば争いは避けられないと悟ったわたしは文字通り、距離を置いた。

しかし、こちらが明らかに話したくないという態度を見せても効かない。相手にデリカシーがないのだから当然といえば当然だ。そんな簡単なことがわからないわたしのほうが、逆にデリカシーがないくらいだ。

 

話しかけるタイミングも大抵、最低最悪である。たとえば残業しているときに、「どうした、忙しいのか?」などと無駄口を叩いてくる。

「忙しいから残業しているんですよ」とか「帰れるなら帰ってます」とか「残業してまでやりたい仕事があるんですから放っておいてもらえませんか?」などといつも感じるし、それに近い言葉を素直に伝えている。

また、少し前には、就業早々に話しかけられ、ひどい思いをした。

わたしは仕事中の間食が過ぎるため、時々、おやつに小魚を食べている。給食を思い出してなんだか懐かしいし、どうしても間食してしまうなら、少しでも体に良い物が良い。そうしてわたしがナッツ入りの小魚をつまみながらメールチェックをしていると、いつものようにデリカシーのないタイミングで、先輩が話しかけてきた。

エンジンのかかっていないわたしが珍しく愛想良く対応すると、周辺のデスクに聞こえるような声で「ちょっと!前歯に小魚が挟まってる!」と言ってきた。「幼稚園のうちの娘と同レベルだ」とまで。

顔面からは笑顔が消え失せ、心の底から濃い暗雲が湧き上がるのを感じた。デリカシーのない人間というのは、わたしの斜め前の憧れの先輩や、隣の心優しい先輩にまで、わたしの前歯に小魚が挟まっていたことを報告するものだ。我慢の限界だった。

「…小魚を食べているときに話しかけるとか、マジで止めてもらって良いですか?」

そんなことは、幼稚園生だって言われなくてもわかることだ。イライラが募るわたしに気づいた隣のデスクの優しい先輩が、間に入る。

「…ほら、1回確認してから話しかけたほうが良いですよ。今、小魚食べてますか?って。ねぇ...?」

優しい先輩がちらりとわたしの表情を確認する。わたしは返事もできずに震えていた。

 

いつか、わたしはデリカシーのない先輩の奥歯をガタガタ言わしたい。トンカチとかで。

誰かネコババしてない?

使用しているiPhone5Sの充電機能の低下が著しい。

つい10分前には50%半ばだったにも関わらず、そのまま使用していると目に入る数字が30%弱だったりする。

この衝撃は通勤電車に乗り合わせている誰とも共有しえないため、もちろん顔に出すことなくクールに指を動かすだけなのだが、不信感は増殖する。

1分間に約2パーセント。秒針に追われ、完全に追い込まれている。

これはどういうことだろうか。半月前は、こんなことはなかった。急激なのだ。ここ数日は、1日2回の充電を強いられている。しかも、ほんの1時間程度放置していれば100%に満ちる。軽い。

すぐ減って、すぐ回復するなんて、実に軽薄だ。そんなことなら、充電がなかなか減らず、大して溜まりもしない堅物であってほしい。2日に1回、一晩かけて充電する。そしてまた2日かけて消費する。スローライフ

しかし、壊れてしまったものが元戻らないことは、機械が普及するよりもずっと先に恋愛が実証した。私の携帯も、もう駄目なんだと思う。それでも、変えたり換えたり替えるつもりがなければ、この軽薄な男と付き合い続けるしかない。

触れ合えば後先考えずにエネルギーを大量消費し、すぐにエネルギーの充足を要求する。悪びれもしない。

私の引き落とし額は増えるばかり。いつからこんなに軽薄な人になってしまったの?見つかるはずもないスタート地点に思いを巡らせる。

もしくは、虚弱体質の男。白く、病弱で、思慮深そうな表情が似合う。可憐な指には本こそ似合うが、世の中のありとあらゆる労働を掴む力がない。その体は日に日に衰え、いずれは管をつないだままでないと意識を保つこともできなくなる。そして、そんな日がそう遠くはない実感がある。わたしの目にはその日が、うっすらとだが、しかし確実に見えている。

この文章が終わるころ、すっかり秒針に迫われてパーセンテージは1桁を切り、カウントダウンが刻まれていることだろう

好きな作家

わたしには好きな作家がいる。その作家の本を読むと、わたしはこんな世界を知らないと思う。わたしの中には、こんな世界が存在しない、知らない、と思う。そして、そんな世界が存在するこの世の中のことが少し好きになる。世界を見直すらしい。素晴らしい作家だと思う。

 

以前、その作家は苦手だと言われたことがある。たまたまバーカウンターの隣に居合わせた青年である。面識があった。

 

わたしはわたしで、相手が敬愛する作家が苦手だった。あの作家を良いと言う男は屑だという確信があった。その気持ちを伝えたかどうかまで覚えていない。趣味が合わないというだけの話だ。しかし。


好きな作家の話でナンパをするような奴である。気に入った女の酒には睡眠薬を混ぜるに違いない。彼のような奴は地獄行きに決まっている。
あのシーンを思い出すといつも、わたしは飲みかけの白ワインを一飲みし、バーカウンターでワイングラスを砕き、その破片を彼の喉元に突き刺して回想を終える。

 

わたしたちがあのやりとりをしたシーンが、北野武映画のワンシーンでなかったことを、あの青年は感謝すべきである。

業務報告書、という名の。

職場で、7月の終わり頃から毎日、上司に業務報告書を書いている。A4のノートに、手書き、毎日、である。

懐かしさ。その行為自体は、なんだか学生時代を想起させる。上司の方針でこの手書きの業務報告書が実施されて、もう3ヶ月が過ぎた。

そりゃ、もちろんはじめはわたしは乗り気でなかった。むしろ、否定的であった。日々の業務報告書を要求するような人間、しかも手書きで、などという人間は気が触れているに違いないと考えた。

上司が気が触れているかどうかの検証よりも先に、わたしは業務報告書にハマった。汚い字で書き殴ったことがないとも言えない。だが、すぐに、わたしにとって業務報告書は大切な存在となった。

わたしはまず、業務内容をアピールした。さも、仕事が多くて大変そうなふりをしたいと思った。難しそうな仕事をいかにたくさんしているか、そんなふうに見せたいと頑張った。しかし、客観的な仕事の基準とは詰まるところ、いくらの金額の仕事をこなしたか、である。金額に直接の影響を与えることが少ないわたしは1ヶ月程度で業務アピールに手詰まった。

そこでわたしは、もはや業務とは関係ない報告に楽しみを見出すようになった。

『今日の一言』というコーナーを設置し、毎日一言以上の長文を書いた。おもに「2016年で今日が1番良い天気だ」「最近炊き込みご飯にハマっている」「2016年の下半期だけで野生のゴキブリを6回目撃している」といった内容である。

大抵は何のコメントもつかない。

しかし、business personの仕事とは、そういうものだ。いつも、日々の業務や感じたことなどは、無視され、ときに踏みにじられるのである。しかし、そんなことに動じてはいけない。上司が、ときに社長さえも読む業務報告書に、ゴキブリの目撃情報などを黙々と記すのみである。学生時代のように、校内放送で個別で呼び出されて注意されないということは、まぁ特別問題もないということだ。

ゴキブリの目撃報告に、まさかの社長からのコメントが時間差で入ったときには、ゴキブリの生態について調べた内容も追記レポートした。

昨今の社会経済、いつどうなるかわからないこのご時世で働くbusiness personのこの身として、会社と刺し違える覚悟で日々働いているのだ。同僚と酔っ払って居酒屋で愚痴などをこぼしていてはもったいない。

そのエネルギーを業務報告書に記している。さながら、ペンを掲げたジャンヌダルク。そんな気分なのである。ちなみに今は、酔っ払っている。しかし、業務報告書を記すときはシラフで、いたって真面目に書いている

秘密のポケット

一度も意識してこなかった事柄や存在が初めて意識された瞬間の驚きを、誰でも経験しているものだろうか。

 

漠然と知っているつもりだったことを、実はまったく知らなかったことに気づいた瞬間。

 

女の人生が80年だとして、年が明ければ割とすぐに30歳になるわたしは、人生全体の3分の1を超えた地点にいる。そんな地点で、こんな思いをするとは。

 

しかし、以前にも一度、似たような感覚を味わった。帰巣本能という言葉をずっと帰省本能だと思い込み、何度も口にしていたことが行きつけの美容師からの指摘で発覚した。

国語の教科書に帰省本能と書いてあったと弁明したが、何の効果もなかった。29年の間、いろいろな人の前で使ってきたにも関わらず、誰にも指摘されなかったことが無念でたまらなかった。

 

 

そしてわたしはつい最近、歯周ポケットという存在を初めて意識した。歯ブラシや歯磨き粉のコマーシャルで、もう何千何百と聞かされてきた、この言葉。まさか、わたしの口の中にも存在しているとは考えたこともなかったのだ。

姉の家にあった糸ようじをなんとなく手に取り、自分の歯に試した瞬間、わたしの中に潜んでいた歯周ポケットへの探究心が産声を上げた。

 

インターネットで入念にリサーチし、次の日には自宅用の糸ようじを購入した。そしてその夜、さっそく糸ようじを試したところ、とてもこわくなった。思った以上に糸が食い込むのだ。自宅で初めて糸ようじを使った興奮とは裏腹に、こんなに歯茎の中に糸が入っても大丈夫なものか、おそろしくてたまらない。29年間ではじめて見た食い込み方だった。しかし、それは結果として、わたしの歯周ポケットへの探究心を加速させることになった。歯周...ポケット。言い得て妙だと思った。

 

次の日仕事をしていると、昨夜のことが猛烈に思い出された。気づくとインターネットで「歯周ポケット」と画像検索していた。わたしが思っている歯周ポケットと、世間で言われている歯周ポケットが同じか、不安があった。同じだった。しかし、情報過多だった。歯周ポケットがすっかり浅くなり歯が根元からほとんど剥き出しだったり、意図的に歯周ポケットをめくって歯の根元が剥き出されていたり、さまざまな画像があった。

 

不安は一斉に増殖した。

 

わたしの歯周ポケットは深すぎるのではないか。歯周ポケットに悪い菌が溜まっているのでは、歯周病の疑いがあるのではないか。

わたしは不安になって我慢できず、隣のデスクの先輩女性に相談した。「つい最近はじめて糸ようじを使ったこと」「29年間で初めて歯周ポケットを意識したこと」「糸ようじが食い込む感じがこわかったこと」などを伝えた。

 

先輩女性はわたしを気遣い、自分も毎晩糸ようじを使っていること、子どもの頃に歯列矯正をした際は歯間ブラシを使っていたことなどを教えてくれた。

 

先輩の話を聞き、思いがけず驚いてしまった。自宅用の糸ようじを買う際、隣の棚に並んだ歯間ブラシが目に留まり、あんな物が歯の隙間に入るなんて歯が随分と抜け落ちたお年寄りばかりに違いないと勝手に思い込んでいたのだ。幼い子供が歯の隙間に歯間ブラシを当てることもあるらしい。

 

口の中の世界はなんと広いことか。

 

不安や疑問が解決しないわたしの様子を見た先輩女性は、医師への相談を勧め、自分の仕事へと戻っていった。

 

「またか。」正直に言うと、わたしはそのように感じていた。先輩女性たちと女の健康について話すとき、大抵は「医師に相談」が結論になった。「わたしの歯周ポケットは糸ようじを入れても大丈夫な歯周ポケットですか?」医師にそんな相談をするべきか、わたしは結論を出せなかった。

 

 

先輩2人と客先に行き、ポケモンGOをしながら帰ってきた。途中でつけ麺屋に寄り、おそらく通常よりもやや茹で過ぎた状態で提供された麺を3人で啜った。

「この麺は本来のレシピより茹で過ぎているに違いない。」そんな会話を数回繰り返しながら、完食した。食後のなんとも退屈な時間が漂う中、先輩の1人がおもむろに楊枝を手にした。もう1人の先輩も、楊枝を手にした。おっさんかよ...と思いかけたが、2人とも30代半ばを過ぎた男性なのであながち間違ってもいないのだった。

楊枝のその先がわたしの歯の隙間に当てられた瞬間に、わたしの手に楊枝があったことに気づいた。先輩の1人が楊枝を手に取った後に、そのまま楊枝の入った容器をもらい受け、自分の分も抜き取っていた。わたしは楊枝の先を歯に当てていたことに驚き、もう一度歯に当てるかどうか迷い、楊枝をゴミと一緒の場所に置いた。

 

しかし、もう秘密のポケットは明かされた。パンドラの匣は、開け放たれたのである。