体力的な

心や思考にも体力的な制限が存在するように思う。それは書く行為にも。

何かゲージのようなものがあり、そのゲージが極端に満ちるか擦り減るまではちっとも書こうと思わなくなった。

 

これが衰えというやつなのだろう。

 

今はYouTubeで夜な夜なデッドバイデイライトというゲーム実況を観るのにハマっている。

 

ズシャアー(刃物で別プレイヤーを斬りつける音)

キャーッッ‼︎(斬りつけられたプレイヤーの絶叫)

デーン(斬りつけられたプレイヤーの体が処刑台のような場所に吊るされる音)

 

基本的にこの3つの音を聞くまでのドラマを延々と観ている。

 

自分でプレイする度胸はない。

 

自室にゲーム環境を整え、ゲームの世界で実際に自分がプレイヤーを動かすことを考えると恐怖でどうにかなりそうだ。

 

その前に面倒だし…。面倒な作業をして環境を整え、そこから気が狂うほどの恐怖体験をしたいというモチベーションが湧かない。

 

それに比べて、YouTubeの高カロリーさといったら。

クリックひとつで安全な場所から異世界の冒険を体験できてしまうんだから。

怖くなったら、拾われてきた野良猫が飼い猫に変貌するシンデレラストーリーを観ればいいし、いくらでも気分を変えられる。

 

私は自分を癒すために随分とインスタントな武器を手に入れたのだ。あっという間に時間が経ち、明日が来て、また働き、そしてYouTubeTwitterの世界に帰る。

 

これが平穏な生活というものか。

 

何も生み出さず、貯金額を気にしながら些細な人間関係や老化に気を揉み、それらから解放されるためにYouTubeに時間を費やす。

 

かつて抱いた何者かになりたい焦燥もありありとは感じられない。

 

それなりに満足のいく仕事でご飯を食べられている何者かに、もうなっている。

 

自分の機嫌を取るために余剰なお金の使い道を検討できる。誰と過ごすために時間やお金を使うべきか選ぶことができる。

 

何者かになるために、自分や他人に過度な不安や期待を抱かなくていい。

 

かつては、自分はもっと面白い人間なんだと思っていたけれど。

大して面白くないことを知り、その痛みにも慣れ、いよいよ解放されつつある。

そこまで面白くもない自分でも、もう何者かではある。それ以上も以下もない。

 

以上