数日前、あるテレビ番組の俳句をつくるコーナーを観ていた。発想、言葉選びと素晴らしい俳句が多くて、羨ましくすら感じた。

かつての私は、今より自分の言葉で世界を捉えて表現できていたように感じる。少なくとも、何かに抗って必死に自分の言葉で表現しようとしていた。

 

しかし、みんなに伝える・伝わることを意識して生きた結果、独自性のある言葉はどこかに消えていた。

稼ぎや生きやすさと引き換えに、無自覚のまま独自性のある思考や言葉をどこかに捨てたか閉じ込めてしまった。

何かを得るために何かを失うということはあると思う。

自分の棘のある思考、言葉を捨てることで、みんなの輪に混ざってそれなりに生きていけるようになったのだ。

孤独よりは苦しくないが、人に混ざれずに一人呟いていたかつての自分がどこに行ってしまったのか。寂しさもある。

最近眠りが浅くて、エロやグロなど後味悪めで困惑しながら起きることが多い。

 

目覚めるのが残念になるような、楽しい夢も見たいなあ。

 

短期間でケンコバが2回も出てきたので、私にとって特別な人かのように錯覚している。

 

最近、ケンコバに卑猥なことをされる夢を見た後、夕ご飯を食べながらテレビを観ていたらケンコバが出ていて、元カレを見たような気分だった。

こうやってストーカーをする人の執着心は磨かれていくのかね

今朝、口の中に大量のガムがこびりついていて、取ろうにも延々と伸びて取れない、という夢を見た。

 

基本的なストーリーはやや複雑で、前の職場の同僚達と大勢でパーティをして過ごしていると、そこに知らない人が何人か侵入。

 

そいつらは卑劣な手段で売春斡旋を行う犯罪組織だった。しかも、犯罪組織の黒幕は何とケンコバ

 

私は妊婦探偵として、ケンコバ一味を追った。

 

しかし、追う時にいつも邪魔になるのが口の中のガム。食べた記憶もないのに、口にガムが溢れていて邪魔で任務に集中できない。

 

ガムを引き剥がそうと指を突っ込んでガムを引っ張るが、ゴムのように太く長く、ズルズルと伸びていつまでも取りきれない。

 

そんなことをしていると、ケンコバ一味には逃げられてしまう。嫌な夢だった。

 

 

髪の毛を短くしてサッパリ。髪をバッサリと短くするたびに、自分らしいと感じる。切るたびにそう感じるのに、定期的に伸ばそうと血迷ってしまうのは何故か。自分でもわからない。

 

それにしても、自分の感覚を正確に伝えたり理解してもらえたり共感してもらえたりというのは難しい。

 

ほとんどの人とはわかり合えなかったり理解してもらえないことは普通のことなので、いちいち感傷的にならずにいきたい。

というか、どちらにせよ共存しなければいけないのだから分かり合えることなどは気休めの問題だろう。

 

そもそも半径3メートル以内に暮らす人間でなければ、分かり合えなくても大した問題でもない。

 

おばさんになり、若い頃よりもいろいろなことと距離が取れていちいち傷付かなくなって本当に楽になった。

もっともっと面の皮が分厚く、太く生きたい。

 

季節の変わり目だから衣替えをしなきゃだし、最近はお腹が目立ってきたので出産以降まで着られない服を押入れの奥に片付けた。

 

産後に体型が戻るかどうかも心配なのだが、そもそもその服をまた着たいと思うほど気に入ってるかと考えるとそうでもない服が多くて戸惑う。

 

20代後半から、服とか靴とかバッグとか、職場にも着ていけるからとか貰ったとかで持ち続けてる物が多くて自分で心底惚れ込んだ物が少ない。

好きだったがもう似合わなくてなってしまった服が少し、その他の大多数がまた着られることを楽しみにしている訳でもない服。

そんな物を保管するスペースと労力を割く必要があるのか。

 

髪の毛も数週間前に切ったのだが、行く前は自分がしたい髪型のイメージがあった。しかし、産後に困らない髪型が良いかと担当美容師と話し合っているうちに、思い描いた髪型とは離れていた。

 

合理的で正しい選択をしたと言い聞かせた。

 

一方で時間が経てば経つほど、自分に似合っていない感覚は強くなった。

 

しかし今日、そんな自分の気持ちに明確に気付いた。

個性豊かな街として有名な場所に一年ぶりに行ったことがきっかけだった。

 

その街では、並んでいる飲食店、洋服屋、八百屋、果物屋、食器屋それぞれに店主の人柄が滲み出ていた。

それでいて商品の価格は良心的で、気に入れば臆せずに手を伸ばすことができる価格だった。そして、私は自分がとても気に入ったそれらを一つずつ迷いなく買うことができた。

 

自分が好きな物を自覚し、所有する権利を自分に与えること。自分の好きな物の提供者を支援する表明をすること。全然してなかった。

 

誰に制限されたはずでもなかったのに、多分自分で気付かないうちにどんどん制限をかけた。そのうちに、自分の好きな物がぼやけて埋もれ、気付いてもいなかった。可哀想なことを自分にしていた。

 

なので、今までの物をいろいろと捨てて、これから少しずつ増やしたい所存。

今朝の寝起きは、コイケヤポテトチップスのり塩味が止まらなくなる夢を見ていた。

子どもの頃、とにかくのり塩味が美味しくて好きで、しかし我が家は貧乏な三きょうだいだったので一人占めはできず分け合って食べるしかなかった。

こんなに美味しい物をいつか一人占めして食べたいと、子どもの頃に強く願ったものだった。

 

夢の中ではあの頃の気持ちで一人でのり塩を貪り食っていると、終わりには、ポテチの塩とのりが蓄積した右手の親指と人差し指を舐めることが最後の極上の楽しみであることを思い出した。

ポテチを食べる作業で育まれた凝縮した味が格別なのだ。

 

目が覚めた時には、育てた指を大切に思う気持ちや舐めたい感覚がまだ残っていて、しかしただのいつもの指であることに落胆した。

 

ネットサーフィンしているうちに育てた指への興味も消えかけたが、この文章を書くために思いを巡らせることで育てた指を舐める快感をまた思い出した。

が、やはり実際にはスマホで文字を書き進めるために忙しなく動いている右手の人差し指だった。

今日は都会のビルの中に浮かぶ丸々とした月を見ました。

夕ご飯を食べて一休みしてからまた外に出てみたら、数時間前よりも遥か上方に移動し、雲も増えていて時々しか見えません。

公園の芝生に座りながら月を見上げていました。近い将来や遠い将来、少し離れたところを歩く野良猫のことなどを話していたら、すぐ一時間が経っていたので、公園をぐるっとして家に帰りました。

月は遠くて丸かったです。